勇助の2・3階では、
五箇山の歳時記を紹介する写真パネルや
相倉の歴史、合掌造りなどを解説したパネルで紹介しています。
また、養蚕業を営んでいた当時を
五箇山和紙で作ったカイコなどでも再現し、
当時を偲ばせる生活道具や用具で展示しています。


入館案内

開館時間 10:00 ~ 15:00

定休日 火曜日
正月・お盆
その他、家・村の行事日など

入館料
大人
小・中・高校生
団体
300円(税込)
100円(税込)
大人10名様以上
  250円(税込)




展示ギャラリー


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カイコ展示


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海野光弘について

五箇相の倉「人、花、合掌」
相倉の風景に惚れ込んだ版画家、
海野光弘(うんの みつひろ)の作品を展示しています。

→海野光弘ウェブサイトへ


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みんぱく

大阪の国立民族学博物館にて、
勇助の合掌造りの縮小模型が展示されています。
お近くにお越しの際は、ぜひご覧ください。



歴史

五箇山各地で縄文中期とみられる土器が出土。
約4000年前から生活が営まれていたと考えられます。
鳥獣、川魚、山菜、果実など山間部の方が
平地より生活に適していたと思われています。

中世人形山(1726m)は山岳信仰の山であり、
また平家落ち武者伝説も伝えられています。



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古地図

 1468年
(応仁元年)
 蓮如上人が井波瑞泉寺、五ヶ山、白川郷を
 経て京都に着く。
   本願寺八世蓮如上人や赤尾道宗の働きもあり
 本願寺の影響が五ヶ山全域に広がる。


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  親鸞上人を偲ぶ(報恩講の聴聞風景)


 1513年
(永正10年)
 本願寺実如裏書に「五ヶ山」の文字が初めて
 見られる。

 1552年
(天文21年)
 五箇山が初めて古文書に
「五箇山十日講門徒連判状」で初見。

 石山合戦(1570年~1580年)では、
 本願寺に五箇山の煙硝(火薬の原料)を送る。

 1585年
(天正13年)
 加賀藩前田家の領地となる。
 この頃の五箇山の産業は養蚕、
 和紙(五箇和紙)、煙硝(火薬の原料)


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五箇山の手漉き和紙

 1748年  大槻伝蔵、祖山に流刑入牢

 1889年
(明治22年)
 町村制の施行
 五箇山は平村、上平村、利賀村の3村に。

 昭和に入り「五ヶ山」を「五箇山」に換えて使う。
 古くは「五ヶ谷間」説もある。

 1927年
(昭和2年)
 城端~下梨八幡間道路開通(現 国道304号線)

 1930年
(昭和5年)
 祖山ダム完成(45,000kw)

 1935年
(昭和10年)
 下梨~井波間(現国道156号線)沿岸道路を
 自動車が初めて通行。

 1952年
(昭和27年)
 城端~西赤尾間バス運行開始(加越能バス)


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バス開通(昭和30年代)

 1953年
(昭和28年)
 金沢~美濃白鳥間バス運行開始(国鉄バス)

 1963年
(昭和38年)
 三八豪雪/東京オリンピック
 /東海道新幹線開通


 1981年
(昭和56年)
 五六豪雪

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五六豪雪

 1984年
(昭和59年)
 五箇山トンネル開通/平スキー場オープン

 2004年
(平成16年)
 町村合併で南砺市に(四町四村で)