成熟した日本文化

新潟県・佐渡島 2107年5月17日版掲載

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新潟県の佐渡は近くて遠いイメージがある。地図で見る佐渡は、日本海の荒海に浮かぶように見えるが、本当の佐渡は、夏はもちろん、冬も積雪は少なく、寒さも思うほど厳しくはないので、過ごしやすいようだ。さらに、大きな災害が少ないことが安心感につながっている。周囲を海に囲まれ、魚介類の宝庫。一年を通じておいしいお魚が新鮮なまま食べられるのは、都会人には考えられないことだろう。

問題は、今の少子高齢化で人口が減る中、どう若者の心をとらえる町づくりをしていくかだ。一つ提案がある。私が住む五箇山をはじめとして、今の日本の観光地は、外国観光客が圧倒的に多い。そこで、佐渡は外国人よりも日本人の心が癒される滞在型文化体験リゾート地を目指されたらいかがだろうか。

今の日本の若者は、本当の日本文化を知りたがっている。佐渡には、本物の日本文化がたくさんある。江戸時代、佐渡は天領であり、中央から離れていても独自の文化が育ち、今に伝わっている。島のいい点は、外からさまざまな文化が入って来るが、外にはあまり出ていかないことだ。その地で熟成される。

金山、銀山で栄え、北前船が経済の交流を生み文化が花開いたのだろう。佐渡には能舞台が数多く存在するし、「佐渡おけさ」をはじめ多くの民謡も歌い継がれている。

南佐渡の赤泊は、金銀の積み出し港で、北前船の出入りもあり、本州との玄関口でもあった。春の祭りには獅子舞やみこし、山車も町を練り歩く。獅子舞で奉納される剣舞は岩手から、山車は京都の祇園祭から伝わったものといわれる。写真は八幡若宮神社の春の祭礼。

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水辺の元気 今も

富山県・新湊の内川 2017年4月12日版掲載

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29年前、「柳川堀割物語」という映画を、長時間かけて見たことを時々思い出す。映画の中身は、福岡県柳川市を流れる水路網の物語で、製作は宮崎駿、脚本・監督は高畑勲。2人の巨匠による作品だ。

パンフレットによれば「日本が貧しかった頃、どの町にも堀割があった。水は必ずしも清くはなかったけれど、橋や水辺にたたずめば、水の流れは暮らしの重荷を軽くし、疲れをいやしてくれた」とある。当時はバブル景気の真っただ中。ゴミなどで決してきれいではなかった水辺は、都市計画の中で埋め立てられることもしばしばで、消えてしまった堀割も多かった。

その時、一人の柳川市職員の男性が「堀割が消えてしまうのではないか」と危機感を抱き、行動を起こし、市民をも巻き込む。水辺には人々の日常生活があり、自然と人との深い関係が、経済発展の名の下に見捨てられようとしていた。映画は、そんな危機的状況から住民がかつての堀割の姿を取り戻すまでを描く感動物語だ。

私の好きな場所の一つに、射水市新湊地区を流れる内川がある。30~40年前、内川の周囲には住民も多く住み、夜が明けないうちから漁船が漁場の日本海めがけて出航していく風景は、山育ちの私にとって、とても新鮮な風景だった。

当時に比べて今は人口も漁船も少なくなり、かつてのにぎわいは減った。それでも近年はカフェや食事処ができ、水辺の生活が観光資源に生まれ変わっている。映画のロケ地になったり、遊覧船が漁船の間を縫って観光客を楽しませている。内川の水辺は今も元気だ。写真は内川を走る観光遊覧船。

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浦々に集落の氏神様

島根県・松江 2017年3月15日版掲載

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日本ほど、文化が多種多様で、狭い国の隅々まで密度濃く詰まっている国も多くはないだろう。南北に細長く気候風土の違いが独特の衣食住文化を作ってきた。

各地を旅していると、どこでも寺院や神社が多くて、それも当たり前のように感じられてくるが、よく考えればそれぞれ長い歴史と深い意味がある。旅は信仰心を深め、癒しや健康、心の開放にもつながる。昔の人たちは、それらを上手につなぎ合わせて「四国霊場八十八札所」巡りから、身近な散歩コースにも近い「七福神巡り」など小さな旅までさまざまに楽しんできた。

島根半島にも「四十二浦めぐり」と称される民間信仰が伝わる。風光明媚な地を巡り、土地の氏神様にお参りをする江戸時代からの風習という。島根半島は東西約65㌔。日本海と、高くても500㍍ほどの山々からなる入り組んだ海岸線は変化に富む。海に面した厳しい自然環境の地にも、人々は集落を形成し、氏神を祀る。

旅人たちは、1~2週間かけて山あり川あり岩ありの険しい道を歩き、海水で身を清めながら、土地の氏神に家内安全、個人の冥福などそれぞれの想いを伝え、手を合わせたのだろう。

今は美保関から西の出雲まで道路も整備され車で走れる。所々トンネルで、海岸線に出たり入ったりの道だ。ほとんど平地のない集落は日中は人影もまばらで若者どころか年配者も少なく、地方の現実が見えてくるようだ。もう元気だった田舎は戻ってこないのか。残念無念。

写真は四十二浦の一つ、野波の日御碕神社。

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情緒満点の温泉津

島根県・大田市 2017年2月15日版掲載

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昨年11月、12年ぶりに島根県大田市の「石見銀山遺跡とその文化的景観」を歩いてきた。世界遺産に登録された当時は、観光客のため自動車道は終日混雑が続き、住民の生活に支障をきたしているとテレビで報じられていた。それも既に10年前のことになる。

世界遺産エリアの大森地区に着いたのは平日の午後3時ごろで、地区内は人通りも少なく閑散としていた。予想以上の静かさで、少し寂しい気もした。その夜は、世界遺産構成資産地区の温泉津(ゆのつ)温泉に宿を取った。重要伝統的建造物群保存地区で、数軒の温泉旅館と、2軒の共同浴場がある。海から山側へ延びるメイン通りは、細く曲がりくねっている。中程に創業90年の温泉宿がある。

夕食は地元で水揚げされた新鮮な魚が中心で、家庭的な温かみのある会席料理である。円満風呂と名付けられた石の湯船には、湯の花が付着し、茶褐色で情緒満点。一日の疲れを癒してくれる。朝の散歩のため、6時過ぎに宿を出る。暗い中を、足早に出かける人もいて、一日の始まりを感じる。

宿の隣の共同浴場に灯がついている。入浴料を払い、中に入ると、木造の建物は昔の小学校の分校の匂い。棚には住民の風呂おけセットが並んでいる。湯船は熱い湯とぬるい湯の2種類。ぬるい湯に3人の客が顔を赤らめながらつかっている。湯につかり、隣の人が動くと熱い湯がヒリヒリと肌をつく。「熱いですね」と言うと、43度、と笑いながら教えてくれた。「隣のお湯は何度ですか」と聞くと、47度とのこと。石川五右衛門の釜ゆでの様相である。写真は温泉津温泉街。

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鮭文化の発信地

新潟県・村上市 2016年12月14日版掲載

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私の住む五箇山は、50年前と今とでは、食生活に大きな違いがある。かつては、食品の数も限られ、冬場に生鮮食品を食べる機会はなかった。子供の頃、毎日毎日同じものが食卓に並んでも、だれも文句を言わず「いただきます」「ごちそうさま」といただいていた。

今はスーパーに行けば、日本産ばかりか、世界中の輸入食品が並んでいる。冷凍食品なるものも生まれ、食生活は大きく変わった。

子供の頃、刺し身を食べた記憶はなく、正月の魚屋さんの店頭には雪の上に数匹の鰤が並び、軒先には鮭がつるされていた。誰でもが買って食べられるものではないほど高価だった。鮭の切り身を食べたような気もするが、本当だったのかどうか、今となっては定かではない。

はっきりと覚えているのが、囲炉裏で身厚の塩イカを焼いて食べたことだ。正月にしか味わえないごちそうで、言葉では表せないほど幸せを感じたものだ。今年の秋は朝晩の冷え込みが弱かったため、紅葉はいまいちパッとしなかった。それでも時期が来れば、カニ漁が解禁され、11月の末には寒鰤宣言もあって浜は年末に向けて活気づいていく。

鮭も年末から正月には欠かせない魚だ。鮭は日本ばかりでなく世界中の食卓に上る。新潟県村上市は日本の鮭文化の発信地だ。暮れになれば、市内の至る所で、村上でしか見られないであろう、しっぼからつるされた鮭を目にすることができる。

約230年前、当時の藩主が鮭の保護に尽力したことに敬意を表し、頭からつるさないのだという。市内を流れる三表川には多くの釣り人が威勢良く鮭を釣り上げている。正月の準備だろうか、それとも大切な人に贈るのだろうか。

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おやじについて

顔写真
池端 滋
いけはた しげる

1942年相倉生まれ
52歳まで東京と富山で
カメラマンとして生活
現在は妻と2人で民宿経営

写真集・連載・著書


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