豊かな田畑の風景

兵庫県・香美町 2012.11.14

昭和20年代まで、山間部の寒冷地に適した米の品種がなく、北陸や東北の山間地では、ほとんど米が作られていなかった。1931年、新潟県の農事試験場で寒さに強い農林1号が開発され、今のコシヒカリにつながる品種改良により、日本の里山にも水田が開かれていくのである。
里山の桑畑けや山林が水田に変わり、棚田の風景が生まれた。日本の原風景と言っても、東日本の棚田風景は、そう遠い昔からあったものではないように思う。日本海の海沿いの山間地では今でも小さい田畑が人々の手で守られている所が多い。平野で大きな田畑が耕作放棄されているのを見ると、人々の土地に対する思いの違いを強く感じてしまう。大きな農家でも大型農機具の経費がかかる世の中で、小さな田んぼでは採算が合わないけれど、先祖から受け継いだ田畑をおろそかにできないと年寄りたちは頑張っている。
食料自給率40%未満の日本。食べ残しの捨てる量の多さといい、地球の果てまで円を懐に食料を買い占める行為といい、どうかと思う。日本は世界のどこの国よりも四季に恵まれ、水や食べ物など、、他国では考えられないような恩恵を受けている。やはり、わが国の基本は山林や田畑や自然環境が豊かであることが一番と思う。
写真は兵庫県香美町。車を走らせていると数人の女性が畑仕事をしている。大変ですね、と声をかけると「てまがえ」でみんなで楽しくやっていますよ、とのこと。私が住む五箇山では、先人から「結」という形で助け合う絆が続いている。生産量は少ないが、地方には都市にはない豊かさがある。

20121114

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人呼ぶ”魚のアメ横”

新潟県・寺泊市場 2012.10.10

旅の楽しみの一つに食べることがある。昼は何を食べようか、夜、宿では何を食べさせてもらえるか、などと考えながらハンドルを握るのも楽しい。昼はたいてい麺類で済ましてしまうが、たまに回転ずしを見つけて飛び込むのも一人旅のいい所である。
その楽しみの中に、市場のぞきがある。土地のにおいや人々の会話や日常が生で見られる。全国に約1000もある道の駅には、生産者が持ち込んだ野菜や手作りの特産品が顔写真入りで紹介され、安心と新鮮さをアピールして販売されている。
日本海側の都市にも好きな楽しい市場がいくつかある。当初は地元の台所としての役割だったと思うが、今では観光客が寄るようになり、新鮮な魚を並べたり駐車場を増やしたりして人気のスポットになっている。山口県下関市の唐戸市場、金沢市・近江町市場、秋田市民市場も好きな場所で、旅の気分を満喫できる。
大切なことは、近江町市場も秋田市民市場も新しく建て直しても下の雰囲気を最大限に残し、新しい建物をあまり売り物にしていないことだ。かつての富山駅前にも闇市から始まった市場があったが、大型の再開発ビルに建て替えられて姿を消した。市場の部分も商業施設になってからは、かつての独特の味わいもなくなり客足も遠のいたと聞いている。生まれ変わることは大変に難しい。
写真は新潟県長岡市の寺泊市場。「魚のアメ横」とも言われ、テーマパークのようで連日多くのツアー客や観光客を集めている。ここは人が人を呼び、魚の焼いたおいしい香りが人々を引きつけてやまない。

20121010

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神々の国の島

島根県・隠岐の島 2012.9.12

8月のオリンピック期間中、日本人はここ数年で最も幸福な時間を持ったのではなかろうか。熱戦のニュースは心を癒し、楽しませてくれたばかりではなく、他の嫌なことも一瞬忘れさせてくれた。
それほどここ数年は明るいニュースが少ない。特にここしばらくの国内政治の出口が見えない混乱、経済の低迷、若者の就職難、沖縄の基地問題などなど明るい方向に向かおうとしているものはただの一つもない。
日米の基地問題のギクシャクからか、アメリカの後ろ盾も弱まっているところへ、ロシア、中国、韓国と隣国3国がここぞとばかりに領土問題で日本に揺さぶりをかけている。腹が立つのは、自国の問題から国民の目をそらすために領土問題を持ち出している指導者立ちである。数年前「品格」がブームになった。国家お品格ももちろんだが、国家の指導者の品格も問われなければならない。しかし、既にそんなものが通用する時代ではないのかもしれない。
10年前、私はカメラを背負いロシア・ウラジオストク、韓国・ソウル、中国・大連を2年間に3,4回ずつ訪ねた。ソウルでは写真展まで開いた。3カ所とも嫌な思いは一度もなかったし、ソウルでは多くの人たちの協力好意を受けた。感謝の気持ちは今も変わらない。それでも竹島問題は理解できない。
今回の撮影地は島根県隠岐の島。神々の国、島根県は日本で一番多くの神様がいる土地である。竹島は島根県の一部である。領土問題の解決を神様にお願いする訳にはいかないが、これ以上争いがエスカレートしてもいい結末は生まれない。品格ある対応を望むものである。

20120912

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メモ魔だった土門拳

山形県・土門拳記念館 2012.8.15

私たちは何かにつけてメモをする。予定事項を書き込んだり、買い物、思いつき、昔のことを思い出してまで色々とメモをする。特に、年を取ると、メモしないと昨日のことも思い出せない。それでも昔のある一部のことを事細かに思い出すこともあり、人間の脳の中身は複雑である。
写真についても過去に撮ったフィルムを見て、その時の状況を簡単に思い出すこともあれば、まったく撮ったことすら忘れているものもある。そこで私のメモ帳を開くことになるのだが、海外の旅でも場所、日時などわずかなメモがあるだけで、本当に知りたいことが分からない。国内になればさらにメモ帳の体をなしていない。
それでも最近のデジタルカメラではフィルムと違い、日付やデータが記録されていて、それを頼りに思い出すことも多い。今はどうしても分からなければ、インターネットで検索すればほとんどのことについて、細かく情報を得ることができる。しかしネットで得る情報は単に情報だけであり、自分の目で得た情報ではない。
写真を撮ることは自分の視点でテーマや中身の構成がしっかり骨組みされなければならない。
山形県酒田市の土門拳記念館には多くの作品の展示とともに、メモ帳に関するコーナーがある。世界的写真家、土門拳(1909~90)はメモ魔だった。「報道カメラマンなら当然」が口癖で、酒席でも他人の話をメモした。古寺、古窯跡など数十冊が残る。「すべてが鞄の大きさに見合った特注品で、絶えず持ち歩き、仏像や器の特色、寸法などのほか、気に入れば図解、彩色までした」とある。見習うことは多い。

20120815

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のどかな風景

石川県・穴水町 2012.7.18

のどかな風景といったものがある。のどかという言葉の中には、自然が豊かで生活の中にうるおいをもたらす風景というものがあろう。
高度経済成長で日本の風景は大きく変わった。都市にも地方にもコンクリートの建物が建ち並び、山が削られ、高速道路や林道が開発され、山深い地方はトンネルで結ばれ、田舎の生活も大きく変化した。日本の歴史上、ここ40~50年の変わりようは過去にも、これからもないだろう。
私のたかだか70年足らずの人生でこんなに多くの物を見られたことは幸か不幸か分からない。能登半島に車を走らせてからでも40年以上が過ぎた。私の住む五箇山が”陸の孤島”と呼ばれていた頃、能登もまた秘境であった。道路は土埃がたち、街並みは低く、静かなたたずまいであった・
人々は自然と共に生き、物を大切に使い、たくさんの家族と地域との強い絆で守られていた時代であった。しかしながら、食べ物は十分ではなく、着るものも少なくようやくテレビや洗濯機が普及しようとしていた頃でもあり、国民が皆、豊かな生活を求めて懸命に働いていた。
結果、多くの物を得て生活は豊かになった。一方で、今、改めて社会を見つめるとたくさんのものを失い、取り返しのつかないものも多い。今さらどうにもならない。
道路もほとんど舗装されているから、どんな地方であっても車で走るのは快適である。生活も中身は都市とほとんど変わらない。地方の風景は変わった。のどかな風景に出合うこともめったにない。

20120718

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おやじについて

顔写真
池端 滋
いけはた しげる

1942年相倉生まれ
52歳まで東京と富山で
カメラマンとして生活
現在は妻と2人で民宿経営

写真集・連載・著書


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