60年ぶり大遷宮

島根県・出雲大社 2013.3.13

今年は、日本を代表する神社建築、伊勢神宮と出雲大社の遷宮の年である。伊勢神宮は20年に一度の「式年遷宮」。建造物すべてが新たに建造され、遷宮に伴い祭事の宝物、衣装なども新調される。
20年に一度、新しく生まれ変わることは、伝統技術が伝承されていくことでもある。自社の山林を持ち、代々受け継がれてきたものをすべて同じ形で継承するのに、20年という間隔が重要な意味を持つのであろう。
一方の出雲大社は60年ぶりの大遷宮。1744年造営の本殿(国宝)屋根の檜皮(ひわだ)の葺(ふ)替えが08年から始まり、今年5月には「大国主大神」(おおくにぬしのおおかみ)が仮殿から新しい本殿にお還(かえ)りになる。
「古事記」や「日本書紀」によれば、国づくりを成し遂げた「大国主大神」が、国を統治する社として出雲大社が出来たと言われる。神話に語られる出雲だが、実際考古学的に解明できないことも多かった。ところが近年、古代出雲を語る大きな発見が相次いでいる。昭和59(1984)年には新庭荒神谷遺跡から358本の銅剣と銅矛16本、銅鐸6個が出土。平成8(96)年には加茂岩倉遺跡から39個の銅鐸が発見され、なぞの多かった出雲大国が現実味を帯びてきた。そして平成12年には大社敷地内から巨大柱が見つかった。大社は平安期には48㍍の巨大神殿だったのだ。
今年の大遷宮は新たな発見と遷宮により、神々も活力を得、聖地は熱いエネルギーに満ちあふれるだろう。

20130313

入館案内

春を呼ぶお水送り

福井県・小浜市 2013.2.13

小浜市は、福井県でありながら関西の文化圏に入るだろう。若狭湾で獲れた魚は京都や奈良に運ばれ、関西の台所を潤して来た。若狭湾は国定公園にも選定され、入りくんだ湾は風光明媚で変化に富み、写真の被写体としては一年を通じて格好の撮影地である。
またリアス式海岸で潮の流れもいい若狭湾は、日本最北のトラフグの本格的養殖地でもある。自然に近い環境の中で、身の締まった歯ごたえのある70センチにもなる大型のフグが育ち、市場に出荷されている。日本海はブリやカニばかりでなくフグも冬の味覚として味わうことができるのだ。
大陸からの文化も若狭を経由して京都や奈良に伝えられ、強いつながりがある。若狭に春を呼ぶ伝統行事「お水送り」は奈良・東大寺二月堂にお供えの水を送る神事。毎年3月2日、神宮寺を出発した行者の一行は、松明を掲げ遠敷川約2キロ上流の「鵜の瀬」まで進む。送水文を読み上げ遠敷川に注がれた水は10日間かけて奈良・東大寺二月堂の「若狭井」に届くという。まことに神秘的な神事だ。
神宮寺は国の重要文化財に指定されている。小浜市にはほかにも重文クラスの名刹が多く、中でも806年創建の明通寺は本堂と三重の塔が国宝に指定されている。本尊の薬師如来像(平安後期)は他の3体の仏像とともに重文指定されている。
1月ともなれば、本堂は静まり、足元の冷えは体の芯まで伝わる。1200年の歴史は多くの参拝者に力と勇気を与えてきたのだろう。三重の塔も少しばかりの雪を背に、寒空に凛と立っている。

20130213

入館案内

地方で生まれた名作

青森県・鰺ヶ沢町 2012.12.12

昭和30~40年代、写真は報道写真と呼ばれる社会派の写真が主流であった。昭和45年の大阪万博から商業写真が高度成長と共に市場を拡大する時代に入る。週刊誌や月刊誌が次々と生まれ、女優を写したもの、ファッション写真などが”婦人科”と呼ばれていた頃もあった。
高度成長前は、写真撮影で生活できる時代ではなく、有名写真家も写真雑誌でのアマチュア指導やコンテストの審査などで食べていた。それでもそのような苦しい時代には、多くの作家に代表作が生まれている。木村伊兵衛の「秋田」、浜谷浩の「裏日本」、上田正治の砂丘や出身地・出雲の地の写真など、地方の写真家が歴史に残る作品を次々と発表している。
その後多くの若いカメラマンが生まれ、収入も増えたにもかかわらず、今に残る作品は少ない。かっこいいからとか、金が稼げるからなどの理由で写真の世界に入って来た若者が多い事も考えられるが、高度成長が風景や祭りなど地方らしさや日常を大きく変えてしまったのが原因と考える。
平成に入り、経済が落ち込み、地方は少子高齢化や仕事のない若者の増加などで戦後最も元気のない時代が続いている。希望の光が見えない地方に、どうカメラを向けるのかが、現在のカメラマンの課題であろう。
青森の初冬は厳しい。鰺ヶ沢の漁港で写真を撮っていると、年配の漁師が寒風にさらされた干物を「食べな」と差し出してくれた。口に入れると、固くて冷たくて味も分からない。今の時代の行く先もまた、分からない。

20121212

入館案内

豊かな田畑の風景

兵庫県・香美町 2012.11.14

昭和20年代まで、山間部の寒冷地に適した米の品種がなく、北陸や東北の山間地では、ほとんど米が作られていなかった。1931年、新潟県の農事試験場で寒さに強い農林1号が開発され、今のコシヒカリにつながる品種改良により、日本の里山にも水田が開かれていくのである。
里山の桑畑けや山林が水田に変わり、棚田の風景が生まれた。日本の原風景と言っても、東日本の棚田風景は、そう遠い昔からあったものではないように思う。日本海の海沿いの山間地では今でも小さい田畑が人々の手で守られている所が多い。平野で大きな田畑が耕作放棄されているのを見ると、人々の土地に対する思いの違いを強く感じてしまう。大きな農家でも大型農機具の経費がかかる世の中で、小さな田んぼでは採算が合わないけれど、先祖から受け継いだ田畑をおろそかにできないと年寄りたちは頑張っている。
食料自給率40%未満の日本。食べ残しの捨てる量の多さといい、地球の果てまで円を懐に食料を買い占める行為といい、どうかと思う。日本は世界のどこの国よりも四季に恵まれ、水や食べ物など、、他国では考えられないような恩恵を受けている。やはり、わが国の基本は山林や田畑や自然環境が豊かであることが一番と思う。
写真は兵庫県香美町。車を走らせていると数人の女性が畑仕事をしている。大変ですね、と声をかけると「てまがえ」でみんなで楽しくやっていますよ、とのこと。私が住む五箇山では、先人から「結」という形で助け合う絆が続いている。生産量は少ないが、地方には都市にはない豊かさがある。

20121114

入館案内

人呼ぶ”魚のアメ横”

新潟県・寺泊市場 2012.10.10

旅の楽しみの一つに食べることがある。昼は何を食べようか、夜、宿では何を食べさせてもらえるか、などと考えながらハンドルを握るのも楽しい。昼はたいてい麺類で済ましてしまうが、たまに回転ずしを見つけて飛び込むのも一人旅のいい所である。
その楽しみの中に、市場のぞきがある。土地のにおいや人々の会話や日常が生で見られる。全国に約1000もある道の駅には、生産者が持ち込んだ野菜や手作りの特産品が顔写真入りで紹介され、安心と新鮮さをアピールして販売されている。
日本海側の都市にも好きな楽しい市場がいくつかある。当初は地元の台所としての役割だったと思うが、今では観光客が寄るようになり、新鮮な魚を並べたり駐車場を増やしたりして人気のスポットになっている。山口県下関市の唐戸市場、金沢市・近江町市場、秋田市民市場も好きな場所で、旅の気分を満喫できる。
大切なことは、近江町市場も秋田市民市場も新しく建て直しても下の雰囲気を最大限に残し、新しい建物をあまり売り物にしていないことだ。かつての富山駅前にも闇市から始まった市場があったが、大型の再開発ビルに建て替えられて姿を消した。市場の部分も商業施設になってからは、かつての独特の味わいもなくなり客足も遠のいたと聞いている。生まれ変わることは大変に難しい。
写真は新潟県長岡市の寺泊市場。「魚のアメ横」とも言われ、テーマパークのようで連日多くのツアー客や観光客を集めている。ここは人が人を呼び、魚の焼いたおいしい香りが人々を引きつけてやまない。

20121010

入館案内







ホームへ戻る


おやじについて

顔写真
池端 滋
いけはた しげる

1942年相倉生まれ
52歳まで東京と富山で
カメラマンとして生活
現在は妻と2人で民宿経営

写真集・連載・著書


おやじの今月の一枚
相倉の四季