豊かな自然に活路を

山口県・角島大橋 2013.10.9

2020年東京オリンピック開催が決まった。前回(1964年)の東京オリンピックの時、私は22歳。東京の写真スタジオに勤めていた。
”東洋の魔女”と恐れられた日本の女子バレーチームが、世界を相手に戦うさまを小さな白黒テレビで見ていた。少しばかり年上の彼女らの勇姿がまぶしく、 そして誇らしかった。スポーツも今ほど日常的に目にする機会は少なく、プロレスや大相撲、プロ野球、ボクシングなど、テレビで見る選手たちは英雄であり、 あこがれだった。
あれから50年が過ぎようとしている。オリンピックと同じ年に東海道新幹線が開通し、東京ー大阪間が3時間で結ばれ、日本は高度成長期に入っていく。少 子高齢化や若者の田舎離れが進み、地方は公共事業で潤いはしたものの、バブル崩壊後の地方は田舎ばかりではなく県庁所在地までも元気がない。日本海側では 特に顕著かもしれない。
今回の20年オリンピック開催決定のニュースは明るい話題には違いなく、マスコミや経済界(大企業)、政治家は大歓迎と言うところだろうが、前の東京オ リンピックの時とは社会状況が大きく違う。今後7年間、関連事業で東京には人も金も集中するだろうが、地方が恩恵に与ることは少ないだろう。
国政でもTPPは話題になっても自国の農業を本気で考える政治家は少ない。日本は面積の約70%が山間地だ。豊かな自然の中にもっと活路を見いだせるの ではなかろうか。写真は山口県の日本海に面した角島と陸地を結ぶ角島大橋。00年完成で全長1789㍍。エメラルドグリーンの日本海沖に一気に車で行くこ とができる。

20131009

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秋の風景 稲架掛け

島根半島 2013.9.11

9月の日本列島は稲刈りのシーズン。子どもの頃は、三度の食事はすべて米が中心で、「白い飯を腹いっぱい食べたい」が国民の願望だった。
それから半世紀が過ぎ、パンだ、麺だ、パスタだと食生活が一変し、今では米余り現象。農家では生産調整が計られている。
それでも4月になって田に水が入れば、眠っていた大地が目を覚ます。生き物や植物も活動を始める。里山に住んでいると、この頃の季節が一年で一番さわやかで美しく、心が癒される。
カメラファンも田に水が入った風景を求めて飛び出してゆく。砺波平野の散居村の水田風景は水の上に家が浮いているように見える。里山の棚田の風景も、人間が知恵を汗で作り上げた芸術作品だろう。日本の風土や四季は米作りに最適だと思うし、日本の米は最高に美味しい。米の自由化だ、TPPだと問題はあるにせよ、これからも美味しいお米を食べたいと、日本人ならだれもが望み続けるだろう。
とはいえ、今後の農業の方向性は変わるだろう。子どもの頃、刈った稲は稲架(はさ)掛けされ、それが秋の農村風景の一部だった。稲架掛けは子どもの仕事で、日が暮れるまで手伝ったのを覚えている。今では機械化され、稲架掛けも一部のこだわりの農家にしか残っていない。
島根半島の海沿いでの撮影の帰り、山間地の狭い小さな田で稲架掛けをしていた農家があった。今まで見たこともない形。所変われば方法も変わる。人間のやることは面白い。今、日本列島は実りの秋を迎えている。カメラファンには毎年待ち遠しく、楽しい季節。今年も実りある秋を過ごしたいものだ。

20130911

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多くを学べる教科書

富山県・小境海水浴場 2013.8.14

私が初めて海を見たのは、中学1年の夏休み。臨海学校に参加した時だった。食糧事情が悪く、米を持参して出掛けた雨晴海岸(高岡市)での3日間は、今も時々思い出す。民家1軒を借りて同級生たちと過ごした共同生活は、家族とも離れ特別に楽しいものだった。山村生活しか知らなかった若者にとって、海は巨大で、大とは違う恐怖と感動を与えてくれた。
それから約20年後、富山市の四方浜で浜茶屋を開く小島さんという家族との知遇を得て、毎年浜開きには友人たちとともに招待を受けた。当時は海水浴というより、地引き網で引き上げた魚貝を肴(さかな)にした酒宴の方が楽しみで、浜風を受けながら友人たちと語らった夜は、これ以上ない至福の時間だった。
その後、友人は浜茶屋を譲り楽しみも思い出に変わってしまった。その頃、夏休みの浜辺は若者や家族連れの人出でにぎわい、子どもたちの一番の楽しみは海水浴に行くことだったと思う。今は学校や地区にプールがあり近くで泳ぐことができるのと、安全面から海は敬遠されるようになったようだ。海は子どもたちに自然と付き合う知恵や知識を教えてくれる教科書なのに、と思う。
今の時代、何か事故が起きれば、責任問題ばかりが追及され、大切なものを見失いがちになる。海や山や川は、子どもたちが真っ黒になるまで遊ぶ夏休みの定番であり、遊びの中から多くの知識を得た。大人になってもその経験はよき思い出であり、生きてゆく大きな力になった。
今年の夏も暑い日が続く。浜が活気を取り戻してほしいと願っている。

20130814

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変わる旅の仕方

福井県・若狭町 2013.7.10

昔の人たちはどんな旅をしたのだろうか。旅と言える旅はいつ頃から始まったのだろうか。
”越中売薬”として知られる富山の配置薬業は17世紀の終わり頃から全国展開が始まる。柳行李を背にしての旅から旅だった。俳人、松尾芭蕉は東北から北陸を、弟子たちと俳句三昧の旅を「奥の細道」にまとめた。明治の俳人、種田山頭火は人生の後半の多くを、家庭を捨て旅に生き”放浪の俳人”として名を残す。民族学者、宮本常一は、多い時は年に200日以上を旅に費やし、聞き書きにより多くの民族資料と貴重な写真を残している。
旅の仕方は時代で変わり、人それぞれでもある。余計なことだが今の旅行代理店が募集する多くのツアーの参加者には、旅に寄せる思いはそう強くは感じられない。
私の旅は車の移動が多いから、なるべく一般国道や地方道を利用する。高度成長時代は国道整備が車の増加に追いつかず、混雑と渋滞が日常だった。そのうちガソリンスタンド、レストランなど車の利用客向けの店が次々と現れ、いつの間にやらコンビニやホームセンター、道の駅が現代の道路の顔になっている。
かつて庶民の娯楽の一つにパチンコがあった。商店街に生まれたパチンコ店は、郊外や道路筋に大型店として成長していく。電飾がきらめき、騒音とたばこの煙に包まれた世界は夜の若者のディスコの世界に通じていたような気もする。
私たちは、わずかな時間の急激な変化に戸惑いながら生きていかねばならないのだ。

20130710

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驚きと安堵を実感

青森県・つがる市 2013.6.12

一日たりとも写真を目にしない日はない。新聞、雑誌に始まり、パンフレットなどの印刷物には写真は必要である。これらはプロのカメラマンが撮影したもので、技術的にも高くアマチュアの世界とは大きな差がある。プロに近いアマチュアもたくさんいるが、一般的にアマチュアの世界はすべての表現において技術は劣る。
世界文化遺産・五箇山にある合掌造りの私の家の前は撮影スポットで、多くの人たちが写真を撮る。撮影の状態を見ればどんな写真が仕上がっているかだいたい想像がつくものだ。
フィルムカメラ時代、カメラ屋さんのカウンターで写真の技術や撮影のタイミングなどを店員さんから多くを学んだ。今はそれがない。デジタル時代で多くの町のカメラ屋さんが姿を消し、行きつけの店も少なくなった。
カメラもケイタイ、コンパクトカメラ、一眼レフと撮影方法は違ってもデータを記録することは同じ。写真やデジタル技術がこれまで以上に日常や教育、遊びに必要とされるだろうから、小学校から図画の時間があるように、写真を学ぶことも教育の中に取り入れたらどうだろうか。写真の持つ魅力は、記録性や社会性、アートの世界など無限大である。
写真は津軽半島。岩木山を正面に見て車を走らせていると、幼稚園児が運動会の練習中。周りには家も人影も見えない。広大な大地に園児たちばかりで都会の子どもとの環境の違いに驚きと安堵を実感。日本もいろいろあるんだ。

20130612

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おやじについて

顔写真
池端 滋
いけはた しげる

1942年相倉生まれ
52歳まで東京と富山で
カメラマンとして生活
現在は妻と2人で民宿経営

写真集・連載・著書


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