水路が生きる日本の原風景

石川県・穴水町 2012.5.16

日本が世界に誇れるものに豊かな自然がある。政治や経済などは国際競争社会の中で浮き沈みがあるものの、自然だけは人間の力ではどうなるものでもない。それでも世界中でうらやましがられるおいしい日本の水も中国資本が買い求めようとしているらしいから安心できない。
日本ではどこでも生水が飲めるものと思われているが、中国では生水は飲めないものと思った方がよい。そんな我が国でもヨーロッパからミネラルウォーターが輸入されていると聞くとわびしくなる。
話はさかのぼり、江戸の古地図を見ると、細かく水路が張り巡らされている。物の運搬や防火の役目を果たしたのだろう。しかし時代劇でよく見る柳並木の風情も今は町並み保存の地区でしか見ることができない。
約30年前「柳川堀割物語」という6時間以上に及ぶ福岡県柳川市の水郷を舞台にした記録映画を見る機会があった。かつての柳川は悪臭のため水路のほとんどが埋め立てられ、残った水路は水の流れもなく厄介者になった。そこで昔の風情ある水郷・柳川を取り戻そうと当時の市職員が奮闘。水路には悪臭がなくなり、水が流れ、人々が水郷の生活を取り戻すまでを記録していた。幾度かその後の柳川をテレビで見て、原風景を取り戻そうという思いを成し遂げる人間の意志の力を見たような気がする。
能登半島の中ほどに穴水町がある。町中の一角に水路があり独自の風景を見ることができる。地方の水路を復活すれば後世の大きな遺産となるだろう。

20120516

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バス停のような無人駅

青森県・驫木 2012.4.11

人間はいつごろから旅に出るようになったのだろうか。日常を離れて見知らぬ地で新たな発見をしたり、心のリフレッシュなど、旅の楽しみは無限である。神社仏閣巡り、山歩き、最近は道の駅のガイドブックもあるなど、何が目的か分からない旅もある。
昔から人気の高いものに鉄道がある。私が37、8年前、富山市でカメラ店を営んでいた時、近所に夜行電車で鉄道の旅に夢中だった小学5、6年生の男の子がいた。今は有名なチェロ奏者だが、当時は写真を撮ってはフィルムを店に持ってきたものだ。
その後、有名なディスカバリージャパンのキャッチフレーズで旅は一気に一般のものになった。鉄道も新幹線を中心に新型車両が導入され、ファンは過熱するばかり。今では女性ファンも増えて「鉄子」という流行語も生まれた。
秋田県能代市と青森県五所川原市を結ぶJR五能線も人気の高いローカル線だ。日本海や国道101号と平行して北上する沿線には、日本の原風景が広がり、高度成長の恩恵にあずからなかった地方の現実が見え隠れする。沿線には世界自然遺産の白神山地や黄金崎不老不死温泉もある。
中でも鉄道ファンに有名なのが驫木駅である。4、5坪ほどのバス停のような無人駅で、電車は2~3時間に1本ほどしか停車しない。次に電車の到着を待つ鉄道ファンは、本当の旅の達人であるとも思う。冬の日本海が荒れ、白波を立てている。

20120411

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”ハレ”の様相も変化

石川県・気多大社 2012.3.14

私の写真の旅は、祭りに合わせて日程を組むことはあまりない。日本の祭りも昔は曜日に関係なく行われていたが、近年、観光客を集めることと、当事者の住民や若者が参加しやすいよう土、日曜日に移されたということが多い。社会の流れで中止せざるを得ない伝統ある祭りもあると聞く。
祭りよりも今の社会に合わせたイベントの方が多くの参加が見込まれ経済効果も高いと、行政も予算を組んで応援するから歴史あるものにますます人が集まらなくなる。
石川県羽咋市の気多大社は能登の守り神である。歴史ある神社で毎年3月18日から23日まで、羽咋市から七尾市までの往復約300㌔を六十数人で巡幸する「平国祭おいで祭り」が行われる。祭神・大国主神が昔、邪神を退治し、この地を平和にしたという故事にちなむ。
私が初めておいで祭りに出掛けたのはもう30年以上前のこと。巡幸の先頭を神馬が先導し、みこしや錦旗、威厳ある宮司らの行列が、村や町に春を告げ、沿道には人々が米やお供え物をもって御巡幸を喜んで迎えていたことが思い出される。旅所の神社ではおもちをまいたり、子どもたちが走り回り、ハレの一日をみんなで共有していた。巡幸に参加していた高校生は、父親もかつて参加したとのことだった。おいで祭りは能登の人々の心そのものであったように思われる。
それも今では新馬もトラックで運ばれ、人々が春を迎えた喜びの顔を沿道で見ることも少ない。

20120314

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弱体化の原因・・・

新潟県・柏崎市 2012.2.15

日本海の旅は、日本再発見の旅でもある。高度成長と共に日本独自の産業に育ったのが、パチンコ。まだ娯楽の少なかった時代、街角には軍艦マーチが流れ、ドアを押して店内に入れば、チンジャラジャラのパチンコは、若者からじいちゃんばあちゃんまでの娯楽の中心だった。今では考えられないくらい店内はタバコの煙でスモッグ状態だった。
自販機もいつの間にか都市から村の果てまで広がり、暗闇の中に自販機の光だけが輝いている風景もある。
コンビニエンスストアは小売業の中でも最も成長した産業だ。小売り全体では百貨店を抜いてトップを走り続ける。店舗数も日本国内だけで4万3000店以上となり、よほどの田舎でない限り見ることができる。
一部にコンビニがないと生活できないと思い込んでいる者もいて、恐ろしいことだ。昨夏の電力不足の折、パチンコ店と自販機の電気を節約すれば電力不足を簡単に乗り切れると言った首相もいた。
しかし今、パチンコ店は街中から郊外に移り、不況で閉店に追い込まれ駐車場が草ぼうぼうとなった風景も多い。閉店となったコンビニの空き店舗もよく目にする。
出来ては消えていく外食産業など、消費社会とはいえ、少子高齢化と共に国を弱体化しているような気がしてさびしい限りだ。これらの現象を写真に撮る者として、社会の記録を次世代に伝えていかねばならないと思うのは、年のせいだろうか。
写真は海からの風に耐えながらお客を待つ自販機。

20120215

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格好の日帰り撮影地

石川県・能登金剛 2011.12.14

私が写真を始めた昭和30年代、日本は豊かな生活を求めて欧米を手本にがむしゃらに働き始めた時代だった。働けばいつかは家が建てられる、毎日お腹いっぱい食べられて、家族旅行にも行きたい。そんな思いが強かったのではないだろうか。娯楽と言えば映画や音楽鑑賞、ハイキング、パチンコも人気の遊びだった。
家族で旅行に行く家庭もまだ少なくて、旅行と言えば修学旅行、会社の慰安旅行、新婚旅行ぐらいだった。会社では生け花や社交ダンスなどサークル活動が盛んで写真クラブも人気があった。休みになれば、同好の志を集めて撮影行きが大きな楽しみだった。仲間が買ったばかりのマイカーに便乗して、夜明け前の未舗装の砂利道を心うきうきと出かけたものである。
富山からだと、格好の撮影地が多い能登半島が、日帰りでは一番人気があった。特に、外海に面した千枚田や深浦港、能登金剛などは、アマチュアカメラマンにとっては魅力ある地だった。夏になれば、能登半島全域の地区で毎日キリコの祭りがあり、子どもから年寄りまで総出で楽しむ姿は、カメラの被写体としては最高だった。
その頃はまだ、白黒写真時代で、撮影から帰るとフィルム現像、プリントと自家暗室の楽しみもあった。今のデジタル、パソコンとは違う別の楽しみ、喜びだった。講師を招いての例会もあり、今より写真の中身は濃かった。今後、デジタルからフィルムに展開していく方向もあっていいのではないか。写真h能登金剛の巌門。最近は人影もまばらで、かつての観光地も寂しい限りだ。

20111214

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おやじについて

顔写真
池端 滋
いけはた しげる

1942年相倉生まれ
52歳まで東京と富山で
カメラマンとして生活
現在は妻と2人で民宿経営

写真集・連載・著書


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