変わる旅の仕方

福井県・若狭町 2013.7.10

昔の人たちはどんな旅をしたのだろうか。旅と言える旅はいつ頃から始まったのだろうか。
”越中売薬”として知られる富山の配置薬業は17世紀の終わり頃から全国展開が始まる。柳行李を背にしての旅から旅だった。俳人、松尾芭蕉は東北から北陸を、弟子たちと俳句三昧の旅を「奥の細道」にまとめた。明治の俳人、種田山頭火は人生の後半の多くを、家庭を捨て旅に生き”放浪の俳人”として名を残す。民族学者、宮本常一は、多い時は年に200日以上を旅に費やし、聞き書きにより多くの民族資料と貴重な写真を残している。
旅の仕方は時代で変わり、人それぞれでもある。余計なことだが今の旅行代理店が募集する多くのツアーの参加者には、旅に寄せる思いはそう強くは感じられない。
私の旅は車の移動が多いから、なるべく一般国道や地方道を利用する。高度成長時代は国道整備が車の増加に追いつかず、混雑と渋滞が日常だった。そのうちガソリンスタンド、レストランなど車の利用客向けの店が次々と現れ、いつの間にやらコンビニやホームセンター、道の駅が現代の道路の顔になっている。
かつて庶民の娯楽の一つにパチンコがあった。商店街に生まれたパチンコ店は、郊外や道路筋に大型店として成長していく。電飾がきらめき、騒音とたばこの煙に包まれた世界は夜の若者のディスコの世界に通じていたような気もする。
私たちは、わずかな時間の急激な変化に戸惑いながら生きていかねばならないのだ。

20130710

入館案内

驚きと安堵を実感

青森県・つがる市 2013.6.12

一日たりとも写真を目にしない日はない。新聞、雑誌に始まり、パンフレットなどの印刷物には写真は必要である。これらはプロのカメラマンが撮影したもので、技術的にも高くアマチュアの世界とは大きな差がある。プロに近いアマチュアもたくさんいるが、一般的にアマチュアの世界はすべての表現において技術は劣る。
世界文化遺産・五箇山にある合掌造りの私の家の前は撮影スポットで、多くの人たちが写真を撮る。撮影の状態を見ればどんな写真が仕上がっているかだいたい想像がつくものだ。
フィルムカメラ時代、カメラ屋さんのカウンターで写真の技術や撮影のタイミングなどを店員さんから多くを学んだ。今はそれがない。デジタル時代で多くの町のカメラ屋さんが姿を消し、行きつけの店も少なくなった。
カメラもケイタイ、コンパクトカメラ、一眼レフと撮影方法は違ってもデータを記録することは同じ。写真やデジタル技術がこれまで以上に日常や教育、遊びに必要とされるだろうから、小学校から図画の時間があるように、写真を学ぶことも教育の中に取り入れたらどうだろうか。写真の持つ魅力は、記録性や社会性、アートの世界など無限大である。
写真は津軽半島。岩木山を正面に見て車を走らせていると、幼稚園児が運動会の練習中。周りには家も人影も見えない。広大な大地に園児たちばかりで都会の子どもとの環境の違いに驚きと安堵を実感。日本もいろいろあるんだ。

20130612

入館案内

60年ぶり大遷宮

島根県・出雲大社 2013.3.13

今年は、日本を代表する神社建築、伊勢神宮と出雲大社の遷宮の年である。伊勢神宮は20年に一度の「式年遷宮」。建造物すべてが新たに建造され、遷宮に伴い祭事の宝物、衣装なども新調される。
20年に一度、新しく生まれ変わることは、伝統技術が伝承されていくことでもある。自社の山林を持ち、代々受け継がれてきたものをすべて同じ形で継承するのに、20年という間隔が重要な意味を持つのであろう。
一方の出雲大社は60年ぶりの大遷宮。1744年造営の本殿(国宝)屋根の檜皮(ひわだ)の葺(ふ)替えが08年から始まり、今年5月には「大国主大神」(おおくにぬしのおおかみ)が仮殿から新しい本殿にお還(かえ)りになる。
「古事記」や「日本書紀」によれば、国づくりを成し遂げた「大国主大神」が、国を統治する社として出雲大社が出来たと言われる。神話に語られる出雲だが、実際考古学的に解明できないことも多かった。ところが近年、古代出雲を語る大きな発見が相次いでいる。昭和59(1984)年には新庭荒神谷遺跡から358本の銅剣と銅矛16本、銅鐸6個が出土。平成8(96)年には加茂岩倉遺跡から39個の銅鐸が発見され、なぞの多かった出雲大国が現実味を帯びてきた。そして平成12年には大社敷地内から巨大柱が見つかった。大社は平安期には48㍍の巨大神殿だったのだ。
今年の大遷宮は新たな発見と遷宮により、神々も活力を得、聖地は熱いエネルギーに満ちあふれるだろう。

20130313

入館案内

春を呼ぶお水送り

福井県・小浜市 2013.2.13

小浜市は、福井県でありながら関西の文化圏に入るだろう。若狭湾で獲れた魚は京都や奈良に運ばれ、関西の台所を潤して来た。若狭湾は国定公園にも選定され、入りくんだ湾は風光明媚で変化に富み、写真の被写体としては一年を通じて格好の撮影地である。
またリアス式海岸で潮の流れもいい若狭湾は、日本最北のトラフグの本格的養殖地でもある。自然に近い環境の中で、身の締まった歯ごたえのある70センチにもなる大型のフグが育ち、市場に出荷されている。日本海はブリやカニばかりでなくフグも冬の味覚として味わうことができるのだ。
大陸からの文化も若狭を経由して京都や奈良に伝えられ、強いつながりがある。若狭に春を呼ぶ伝統行事「お水送り」は奈良・東大寺二月堂にお供えの水を送る神事。毎年3月2日、神宮寺を出発した行者の一行は、松明を掲げ遠敷川約2キロ上流の「鵜の瀬」まで進む。送水文を読み上げ遠敷川に注がれた水は10日間かけて奈良・東大寺二月堂の「若狭井」に届くという。まことに神秘的な神事だ。
神宮寺は国の重要文化財に指定されている。小浜市にはほかにも重文クラスの名刹が多く、中でも806年創建の明通寺は本堂と三重の塔が国宝に指定されている。本尊の薬師如来像(平安後期)は他の3体の仏像とともに重文指定されている。
1月ともなれば、本堂は静まり、足元の冷えは体の芯まで伝わる。1200年の歴史は多くの参拝者に力と勇気を与えてきたのだろう。三重の塔も少しばかりの雪を背に、寒空に凛と立っている。

20130213

入館案内

地方で生まれた名作

青森県・鰺ヶ沢町 2012.12.12

昭和30~40年代、写真は報道写真と呼ばれる社会派の写真が主流であった。昭和45年の大阪万博から商業写真が高度成長と共に市場を拡大する時代に入る。週刊誌や月刊誌が次々と生まれ、女優を写したもの、ファッション写真などが”婦人科”と呼ばれていた頃もあった。
高度成長前は、写真撮影で生活できる時代ではなく、有名写真家も写真雑誌でのアマチュア指導やコンテストの審査などで食べていた。それでもそのような苦しい時代には、多くの作家に代表作が生まれている。木村伊兵衛の「秋田」、浜谷浩の「裏日本」、上田正治の砂丘や出身地・出雲の地の写真など、地方の写真家が歴史に残る作品を次々と発表している。
その後多くの若いカメラマンが生まれ、収入も増えたにもかかわらず、今に残る作品は少ない。かっこいいからとか、金が稼げるからなどの理由で写真の世界に入って来た若者が多い事も考えられるが、高度成長が風景や祭りなど地方らしさや日常を大きく変えてしまったのが原因と考える。
平成に入り、経済が落ち込み、地方は少子高齢化や仕事のない若者の増加などで戦後最も元気のない時代が続いている。希望の光が見えない地方に、どうカメラを向けるのかが、現在のカメラマンの課題であろう。
青森の初冬は厳しい。鰺ヶ沢の漁港で写真を撮っていると、年配の漁師が寒風にさらされた干物を「食べな」と差し出してくれた。口に入れると、固くて冷たくて味も分からない。今の時代の行く先もまた、分からない。

20121212

入館案内







ホームへ戻る


おやじについて

顔写真
池端 滋
いけはた しげる

1942年相倉生まれ
52歳まで東京と富山で
カメラマンとして生活
現在は妻と2人で民宿経営

写真集・連載・著書


おやじの今月の一枚
相倉の四季