土地代表する鮭

新潟県・村上市

新潟県北部に位置する村上市は、山、川、海と自然環境に恵まれた地で、かつての城下町である。
今から約230年前、三面(みおもて)川の鮭(さけ)漁が年々不漁になり、深刻な問題をもたらしていた。時の村上藩士、青砥武平次(あおとぶへいじ)は「鮭は生まれた川に帰るのではないか」と考え、三面川を鮭の産卵に適した川に変えようと大工事を行う。前例のない試みは30年にも及び、見事に鮭の増殖事業に成功するのである。
この歴史的成功で、村上市では鮭を「土地を代表する魚」という意味で「イヨボヤ」と呼ぶようになる。鮭料理は武家や町人により工夫伝承され、今では百種類以上にものぼる。村上の鮭の値段は、日本の鮭の価格を決めるともいわれる。
また村上市は「むらかみ町屋再生プロジェクト」と称して町屋の再生と景観を整えることで町の活気を取り戻そうとしている。この市民運動が数年前にスタートし、成果を上げて全国に名前を知られるようになった。9月の屏風祭り、3月の人形さま巡りなどの町屋巡りは多くの観光客を集め、今では年間30万人にもなるという。地方の町がさびれる中で、立派としかいいようがない。
村上の鮭は頭を下に、腹は一部を残して開き、鮭に切腹させない伝統的な製法で知られている。鮭がつるされた撮影は「味匠 きっ川」(きは七が3つの漢字)で許可を得た。フラッシュ無しで、デジカメの利点のASA感度をめいっぱい上げて雰囲気のある写真を撮ることを心がけたい。

25071

入館案内

刻々と変化する光

福井県・若狭町

山育ちの私は海に強くひかれる。その数ある魅力の中でも、複雑に入り組んだ海岸線は、自然の造り出した最大の美だと思う。残念なことに富山湾の海岸の造形は変化が少なく単調だ。
早朝、太陽が昇ると光は地上すべてのものに命を与えるがごとく輝きを放つ。刻々と変化する光は、生き物のさまざまな顔を映し出し、雑草までもが自己主張する。夕景の光も一日の終わりにふさわしく静かで、厳かだ。
夜景の写真を撮るならば陽が落ちて暗くなるまでのほんの一瞬がチャンスだ。自然の光と人間の作り出した人工の光が交差するわずかな時間、4,5分しかない。写真を撮る者は朝と夕が一番大切な時間と思った方がいい。撮影に出かける朝は日の出ごろ着くように時間を逆算して家を出る。夜中の2時とか3時、子どもの遠足と同じで早く目が覚めて眠れないものだ。
福井県の若狭の海は国定公園に指定されている。日本海に突き出た半島に小さな無数の湾が変化をつける。車で走っていると迷路に迷い込んだようで、方向を見失ってしまう。元の場所に戻ってしまい、苦笑いしたこともある。
この時も三方五湖の周辺を走っているつもりが美浜町の海岸に出てしまった。夕方の海岸には人影もなく、と思ったのに若い2人の女の子がギターを練習している。話しかけたら気さくに話してくれる。今時の若い2人は写真にも興味があり、撮影を忘れるぐらい盛り上がり楽しい時間を過ごした。

mainichi091014

入館案内

小島が愛した北の自然

青森県・つがる市

昭和30年代、青森県津軽地方を撮り、多くの写真を残した写真家に小島一郎(1924~64)がいる。津軽地方をライフワークとして作品を発表しながらも39歳の若さで亡くなった。
昭和21年の春、敗戦兵として中国大陸から故郷の青森へ帰ってくる。戦災で焦土と化した故郷で、目に入るものは焼けた木の奇異な形と点在する焼トタンの小屋ばかり、と当時語っている。
大家族のため、津軽地方の戦友を訪ねて食料の買い出しに出かけることになる。その後カメラを手にした小島は、津軽の美しく澄んだ空、岩木山の北に広がる果てしなき大地の姿を、とりつかれたようにカメラに収めてゆく。
小島はリアリズム写真が叫ばれる中で、造形美を追求した写真を求めて写し続けている。小島の写真には、農民、子ども、集落、馬、農機具、お地蔵さんなど、津軽の日常が写っている。厳しい自然と生活の中で、山々や光が作り出す大地の中に、人々を生き生きと登場させていて、北の暗さはない。
十三湖から「つがる市」を通る県道12号を岩木山を正面に見て車を走らす。ほとんど人影もなく、すれ違う車も少ない。9月というのに秋の気配も強く、肌寒く感じる。3人の家族が畑で精を出している。スイカが所々で転がっている。今年の収穫も終わり、来年のための後かたづけであろう。冬になれば、地吹雪で景色も一変するだろう。小島が好んだ厳しくも美しい冬ももうすぐだ。

201_01671

入館案内

遠くに動く赤い帽子

島根県・出雲市

「どういう写真を撮られていますか」と、よく聞かれる。自身の写真の傾向を他人に話すことは難しい。地方にいて写真の仕事をしていれば、これが得意、これが好き、と言っていれば仕事の依頼は少なくなる。それでも相手(発注先)からすれば、あいつはこの分野が得意で、アレが下手と知らぬ間にレッテルが張られている。本人も力の入る仕事とそうでもない仕事が区別されてくる。年月が得意、不得意を作っていく。
私の20~30歳代のころ、カメラを持って出かけた先には、老人や仕事に熱中している人たちが写っている。あの頃の人生を生き抜いた顔は、今の同じ年代に比べて、人間としてはるかに深みがあり魅力的だったと思う。それは町行く人たちでも、畑仕事をする人、職人さん、飲み屋のおじさん、作家と言われる人たちにも通じる。
日本海写真の旅は、21世紀の日本海に住む人たちと自然とのかかわりを自分の眼で確認し、高度経済成長後の日本をカメラに収めることだ。車で走っていても、目にとまるもの、通り過ぎていくものそれぞれで、しばらくして引き返し、カメラを構えることもある。この感じは言葉では言い表せない直感だ。
遠くに小さな赤い帽子が幾つも動いている。近づくと幼稚園児が田んぼに案山子(かかし)を立てている。都会の子どもたちには経験できない自然とのかかわり。園長さんの許可も得た。子どもたちの声が聞こえてきそうな写真が撮れたらいいな、とシャッターを押した。

31251

入館案内

海に浮かぶ家並み

京都府・伊根町

私の住む富山・五箇山から丹後半島・伊根町の伊根湾舟屋の里まで約350㌔ある。北陸自動車道を敦賀で降り、小浜、舞鶴、天橋立、伊根と一般国道を走ることになる。日本の高速道は太平洋側は一本で結ばれているが、日本海側はとぎれとぎれで一般国道を走るから旅を楽しむにはこの方がいい。その分、今の高速道路割引、特にどこまで行っても1000円という恩恵は受けられないが。
伊根湾をグルッと囲んで建つ舟屋は約350軒もあり、ほかの地では見られない景観である。この地区は国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定され、文化財法で保護されている。
伊根湾は天然の良港と言われ、古くは湾に追い込んだ鯨を銛(もり)一本で仕留めた時代もある。今は定置網で捕れるブリが日本三大ブリに数えられている。
それにしても海面すれすれに建つ家は、満潮や台風の時には大丈夫なのかと他人事ながら心配になる。1階は舟の格納庫で、2階が居住スペース。1階の一部は海の中と言ってもいい。対岸から見れば、海に家並みが浮いているように見える。今、全国的に町並み保存が叫ばれているが、舟屋の美しい風景を見ていると、そこに生活している人々が50年後まで今の形を伝えていくのは大変だろうと心配になる。
自然と一体となった家並みを撮影するには、朝晩の光をうまく取り入れることが写真を生き生きとさせる。舟屋の2階を民宿として開放している家もあり、海辺での一夜もいいだろう。しかし、この地は生活の場。住民のプライバシーには十分に気を遣うことである。

145_45421

入館案内
17 / 19« 先頭...10...1516171819







ホームへ戻る


おやじについて

顔写真
池端 滋
いけはた しげる

1942年相倉生まれ
52歳まで東京と富山で
カメラマンとして生活
現在は妻と2人で民宿経営

写真集・連載・著書


おやじの今月の一枚
相倉の四季