「何、これ」建造物

秋田市立体育館

旅の途中、時々オヤと思うものに出合う。今まで見たこともないもの、その土地になじまないもの、何でこんなものが、と思わせる出合いは、旅の面白いところであり、考えさせられる点でもある。
変わらないでほしいもの、変わらねばならぬもの、変わってほしいものなど、人それぞれ思いは違う。地方といえども何も変わらないままでは進歩はないが、よそ者がとやかく言うものではないとも思っている。
国道7号を秋田市内に車を走らせていると、建物の間に異様な物体が見え隠れする。車で近づくにつれ、大きな物体が正体を現すと「何、これ」と思わず叫んでしまう。聞けば秋田市立体育館という。今まで目にしてきた交響の体育館のイメージとは違い、並外れて大きく独創的だ。
1994年の完成とあるから、日本がまだ豊かだった時代の産物と言えよう。私には理解できないが、目の前に存在するということは多くの市民の支持を得た証拠だろう。
今までも宗教団体の建造物が話題になったことがある。しかし宗教団体と公共の建物とは本質的に目的は大きな違いがある。あのころは国も地方も金があったから建ったというのではさみしい。
日本海を旅しているとカメラを向けたい時も、その逆もある。現実に目の前の光景が21世紀の今を表しているものなら、シャッターを押したくなくても、押すことにしている。
この写真は現在を写してはいるが、時がたてば別の面を発見させてくれるだろう。

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町全体が城のよう

島根県出雲市

私が写真を職業としていたころ、カメラと言えばフィルムの時代だった。それから15年。プロの仕事の大部分がデジタルカメラにより記録されている。フィルムにこだわっているプロの人たちはほんの少数になった。
一方アマチュアの世界では、ベテランやコンテストにこだわっている人たちにフィルムにこだわり派も少なくない。そんな人たちはフィルムの表現がいかに優れているか、デジタルはまだまだ遠く及ばないと主張する。面白いのは、フィルムにこだわっている人たちのほとんどはデジタルを経験していない。
フィルムの表現は百数十年をかけて完成したのに対し、デジタル技術は電気製品の進歩に伴い急速に発展し、現代社会に欠かせないものになった。その技術がカメラに応用され使用者が追いつかない速さで進んでいる。
フィルム表現とデジタル画像の表現はそれぞれ異なるもので、特徴や良さは比較できるものではない。それぞれの良さを見つけて楽しむものだと思う。
私は6年前にフィルムで個展を開いた。現在デジタルカメラだけで日本海写真の旅を続けている。年末に「日本海、写真の旅ー竜飛岬から下関まで」の写真展を開く。インクジェットプリントは初めてだ。フィルム派もデジタル派も写真展の感想を聞かせてほしい。今から楽しみだ。
写真は島根半島・出雲市小伊津町。日本海に面して200軒ほどの家が建っている。上から見ると町全体がお城のように見える美しい景観だ。

池端滋「日本海、写真の旅ー竜飛岬から下関まで」展は12月17日(木)~21日(月)、富山市新総曲輪の県民会館2階ギャラリーBで開催。開場は午前9時(初日は正午から)~午後6時。ここ5年間に撮りためた作品の中から約200点を展示。入場無料。

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土地代表する鮭

新潟県・村上市

新潟県北部に位置する村上市は、山、川、海と自然環境に恵まれた地で、かつての城下町である。
今から約230年前、三面(みおもて)川の鮭(さけ)漁が年々不漁になり、深刻な問題をもたらしていた。時の村上藩士、青砥武平次(あおとぶへいじ)は「鮭は生まれた川に帰るのではないか」と考え、三面川を鮭の産卵に適した川に変えようと大工事を行う。前例のない試みは30年にも及び、見事に鮭の増殖事業に成功するのである。
この歴史的成功で、村上市では鮭を「土地を代表する魚」という意味で「イヨボヤ」と呼ぶようになる。鮭料理は武家や町人により工夫伝承され、今では百種類以上にものぼる。村上の鮭の値段は、日本の鮭の価格を決めるともいわれる。
また村上市は「むらかみ町屋再生プロジェクト」と称して町屋の再生と景観を整えることで町の活気を取り戻そうとしている。この市民運動が数年前にスタートし、成果を上げて全国に名前を知られるようになった。9月の屏風祭り、3月の人形さま巡りなどの町屋巡りは多くの観光客を集め、今では年間30万人にもなるという。地方の町がさびれる中で、立派としかいいようがない。
村上の鮭は頭を下に、腹は一部を残して開き、鮭に切腹させない伝統的な製法で知られている。鮭がつるされた撮影は「味匠 きっ川」(きは七が3つの漢字)で許可を得た。フラッシュ無しで、デジカメの利点のASA感度をめいっぱい上げて雰囲気のある写真を撮ることを心がけたい。

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刻々と変化する光

福井県・若狭町

山育ちの私は海に強くひかれる。その数ある魅力の中でも、複雑に入り組んだ海岸線は、自然の造り出した最大の美だと思う。残念なことに富山湾の海岸の造形は変化が少なく単調だ。
早朝、太陽が昇ると光は地上すべてのものに命を与えるがごとく輝きを放つ。刻々と変化する光は、生き物のさまざまな顔を映し出し、雑草までもが自己主張する。夕景の光も一日の終わりにふさわしく静かで、厳かだ。
夜景の写真を撮るならば陽が落ちて暗くなるまでのほんの一瞬がチャンスだ。自然の光と人間の作り出した人工の光が交差するわずかな時間、4,5分しかない。写真を撮る者は朝と夕が一番大切な時間と思った方がいい。撮影に出かける朝は日の出ごろ着くように時間を逆算して家を出る。夜中の2時とか3時、子どもの遠足と同じで早く目が覚めて眠れないものだ。
福井県の若狭の海は国定公園に指定されている。日本海に突き出た半島に小さな無数の湾が変化をつける。車で走っていると迷路に迷い込んだようで、方向を見失ってしまう。元の場所に戻ってしまい、苦笑いしたこともある。
この時も三方五湖の周辺を走っているつもりが美浜町の海岸に出てしまった。夕方の海岸には人影もなく、と思ったのに若い2人の女の子がギターを練習している。話しかけたら気さくに話してくれる。今時の若い2人は写真にも興味があり、撮影を忘れるぐらい盛り上がり楽しい時間を過ごした。

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小島が愛した北の自然

青森県・つがる市

昭和30年代、青森県津軽地方を撮り、多くの写真を残した写真家に小島一郎(1924~64)がいる。津軽地方をライフワークとして作品を発表しながらも39歳の若さで亡くなった。
昭和21年の春、敗戦兵として中国大陸から故郷の青森へ帰ってくる。戦災で焦土と化した故郷で、目に入るものは焼けた木の奇異な形と点在する焼トタンの小屋ばかり、と当時語っている。
大家族のため、津軽地方の戦友を訪ねて食料の買い出しに出かけることになる。その後カメラを手にした小島は、津軽の美しく澄んだ空、岩木山の北に広がる果てしなき大地の姿を、とりつかれたようにカメラに収めてゆく。
小島はリアリズム写真が叫ばれる中で、造形美を追求した写真を求めて写し続けている。小島の写真には、農民、子ども、集落、馬、農機具、お地蔵さんなど、津軽の日常が写っている。厳しい自然と生活の中で、山々や光が作り出す大地の中に、人々を生き生きと登場させていて、北の暗さはない。
十三湖から「つがる市」を通る県道12号を岩木山を正面に見て車を走らす。ほとんど人影もなく、すれ違う車も少ない。9月というのに秋の気配も強く、肌寒く感じる。3人の家族が畑で精を出している。スイカが所々で転がっている。今年の収穫も終わり、来年のための後かたづけであろう。冬になれば、地吹雪で景色も一変するだろう。小島が好んだ厳しくも美しい冬ももうすぐだ。

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おやじについて

顔写真
池端 滋
いけはた しげる

1942年相倉生まれ
52歳まで東京と富山で
カメラマンとして生活
現在は妻と2人で民宿経営

写真集・連載・著書


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