40年前、フェリーで

山口県・下関市 2016年6月15日版掲載

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40年近く前、富山市の自宅から車で大阪港へ、フェリーで北九州に上陸し、佐賀県の有田町の問屋さんに行った。初めての九州だった。

高速道路もほとんど未整備で一般国道の旅。買ったばかりの三菱自動車製の新型車「ランサー」の乗り心地も快適で、長距離の運転も苦にならなかった。ずいぶん前のことだから、町並みなど風景などはあまり記憶にないが、有田の町は、焼き物で全国的に有名で、富山県の井波彫刻と同様に、地場産業が大切なことがよく分かった。

私を呼んでくれた友人の問屋さんも,2、3カ月に1度、ホテルや旅館を回って食器や道具を販売していた。当時は新幹線もなく、佐賀県から富山に来るだけでも幾度も交通機関を乗り換えな   ければならなかった。商品を運ぶにも、宅配便もなく難儀だったことだろう。当時の人たちのバイタリティーは、今の私などには到底まねのできないことである。

有田からの帰りは、日本海を2泊3日の旅だった。一般道路をなるべく海沿いの道を走ることにしたものだから、細い道やアップダウンの連続で風景を楽しむ余裕もなかった。当時はカメラもフィルム時代。今のようなデジタルカメラで思う存分シャッターを押せる時代でもなかった。

写真は、山口県下関市のみもすそ川公園から関門海峡と関門橋を臨む。1185年、源義経率いる源氏勢と、平宗盛総大将率いる平家勢が激突した「壇ノ浦の戦い」の戦場となった地。明治維新では、長州藩が蝦夷戦で外国船に砲撃した場所でもある。公園には、当時の長州砲が復元され、まるで関門海峡を守るように並んでいる。

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独自の姿 現代に 

新潟県・糸魚川市 2016年5月18日版掲載

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私の日本海写真の旅の始まりは2001年にさかのぼる。その頃、日本をテーマにした旅がしたいと長い間想い続けていた。

かつては日本の”表玄関”だった日本海側の地域は、戦後、”裏日本”と呼ばれるほど、太平洋側に比較して政治や経済面で差がつけられていた。高度経済成長とともに、高速道路や新幹線など、ほとんどの面で日本海側の開発は遅れをとっていた。

当時、「環日本海」という言葉が日本海側の首長や経済界の人たちから語られるようになった。政治や経済の交流を日本海を囲む国々で進めようとのことであった。ちょうどその頃、富山空港からロシア・ウラジオストク、中国、大連、韓国・ソウル便が飛んでいて、電車で東京へ行くよりも早く、約2時間でそれぞれの都市に着くことができた。私は2年間、日本海を囲むこれらの都市を、カメラ1台ぶら下げて旅して、写真集「環海」に仕上げた。

あの頃あんなに聞かれた「環日本海」という言葉も、今はほとんど聞かれなくなり、自分はこれで終わっては駄目だと思うようになった。それで次は日本海側の地域の日本に目を向けて、撮影の旅を始めた。フィルムカメラからデジタルカメラに替えて、北は青森県の竜飛岬から、南は山口県の下関まで長い距離である。

その間、日本は少子高齢化が進み、人口減の影響でかつては賑わいを見せていた国道沿いのレストランやパチンコ店は閉店されたままの姿が目立つようになった。それでも四季の移ろいや長い歴史に育まれた民族文化や祭りは、世界のどこにもない独自の姿で現代に伝わる。

写真は新潟県糸魚川市にある天津神社の春祭り。「一の宮けんか祭り」とも呼ばれ、2基の神輿が走り、ぶっつけ合う様はすごいの一言に尽きる。

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旅のかたち 様変わり

青森県・竜泊ライン 2016年4月13日版掲載

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昨年3月、北陸新幹線の長野―金沢間が開業してから1年が過ぎた。富山の観光地も金沢の街も予想以上の賑わいを見せている。私はいまだに乗車の機会を得ていないが、富山から東京まで2時間少々という時間は目的地に早く着きたい人たちにとっては大きな魅力だ。中には早過ぎて車窓風景を楽しむ時間もなかったという感想を漏らす人もいて、面白い。

私が18歳で上京した五十数年前は、五箇山・相倉からバスや冬季は庄川を船で下り、城端線を乗り継ぎ、高岡から夜行の汽車に乗り翌朝上野駅に着く長時間の旅だった。当時、普段は旅行客も少なかったが、盆と正月の帰省客だけは異常に多い時代。汽車は通路からデッキまで超満員で便所に行くにも覚悟がいったものである。これだけは写真や文章でどれだけ説明しても、経験した者にしか理解できないだろう。

その後、東海道新幹線が走り、日本は高度経済成長を続け、国民はそれ以前の日本を忘れようとしている。

今年3月には北海道新幹線が開通した。今のところ北海道の玄関までの開通で、札幌まではあと十数年かかるようで、まだまだ先のことのようだ。北陸新幹線も大阪までは、まだまだ先のことで、いつになるやら分からない。

今や、旅は飛行機や新幹線で目的地に早く着き、そこからバスやレンタカーでゆっくり回るのが主流らしく、各地の道の駅では最近、時間と金がある高齢者の利用者も増えているらしい。旅の目的が人それぞれ違い、個性も見えるいい時代なのだろう。

写真は青森県の竜飛岬から小泊までの竜泊ライン。まだ9月半ばなのに、ここまで来る車の数は少ない。冬季は雪と凍結のため閉鎖される。北国の冬は厳しい。

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300キロ 春を告げ歩く

石川県・羽咋市 2016年3月9日版掲載

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私の住む相倉集落は、世界文化遺産に登録されている。世界各地から毎日多くの人たちが訪ねて来る。

ここ2,3年はアジア地域の観光客が増えて、賑やかなことだ。観光客のマナーなどがマスコミなどで社会問題にもなっているが、私が言いたいのは、日本人のマナーはどうなのか、ということだ。アジア系の観光客は、文化や歴史、習慣の違いが問題を起こしているが、それらの人たちは全体の観光客の中のわずかでしかない。

さらには、団体行動で初めての日本旅行ではなく、日本が好きで幾度も日本を旅している人たちの中には、日本人よりも気遣いのある人もたくさんいる。

一方の日本人はどうかというと、家族やグループは別にして、団体旅行者の中には、昼間から酒を飲み、大声で他人の迷惑など気にしない輩もいることを認識すべきだ。カメラ愛好者の中にも、大人数になると大型バスで朝早くから押しかけ、生活の場である集落内を大声で歩き回り、路上に三脚を立て車が来ても動かず、一般の見学者がカメラを避けるように通行している。

観光地におけるマナーの悪さは、アジア系の人たちばかりではなく、日本人もひけをとらない。私が思うに、個人個人は気を引き締めていても、団体になると急に気が緩み、節度がなくなるのは、どこの国も同じではないかと。

私は写真撮影が目的の旅ではいつも一人なので、朝な夕な自由に歩き回れる。夕食などは一人で寂しい時もあるが、それ以上に自由だ。一人旅は楽しい。各自好きなこと、例えば写真を撮り、絵を描き、歌を詠み、そして夜は土地の酒を飲む。旅が上手になれば、きっと何ごとも上達するだろう。

写真は、春を告げる能登國一宮気多大社の平国祭でおみくじの売り子2人。3月18日から5泊6日で300㌔を歩く。雨の日もある。

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自然と人 共存の風景

石川県・輪島市 2016年2月10日(水)版掲載

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私の好きな言葉に「風景は思想である」がある。いつ、どこでこの言葉に出合ったか定かでないが、心の隅にいつも残っている。

美しい日本の四季の風景もいいが、私には何か物足りない。風景プラスその地に住む人たちの匂いのようなものがどこかで感じられるのがいい。風景であり、自然と人間が共存する息遣いとでもいうべきものがほしい。

日本は南北に長く、北と南では気候、風土が違う。昔は、生活や文化に独自の個性を持っていたが、今はそれらもなくなりつつある。それでも春の桜の頃は、南から北まで1ヵ月以上もかけて開花を続ける。日本中どこでも、人々は花に酔い、酒を酌み交わし、自然の恵みに癒され、心豊かになる。自然と人々との長い付き合いで生まれた絆であろう。

田舎に住み、自然との触れ合いが多い生活だと、今の我々よりも、先人たちの方がより心豊かに生きていたように思われる。身近な物たちが長くそばにあっても決して飽きることはなかった。いつもどこかで手の届く所にあり、個性を主張しない。現代では、最初は珍しさはあれど、すぐに飽きて壊れたりする。物に余裕がないように思うのは私だけだろうか。

フィルム時代のカメラと今のデジタルカメラを比較しても、カメラを楽しむというより、機能を小さなカメラに盛り込みすぎて、実際には使わないで終わってしまう。

写真は能登半島、石川県輪島市の名舟白山神社の鳥居。沖に浮かぶ舳倉島から奥津比め神社の神様をお迎えする。御陳乗太鼓の奉納打ちが行われる。私の好きな風景の一場面である。

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おやじについて

顔写真
池端 滋
いけはた しげる

1942年相倉生まれ
52歳まで東京と富山で
カメラマンとして生活
現在は妻と2人で民宿経営

写真集・連載・著書


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