日本らしい日本 

山口県・萩市 2015年9月9日版掲載

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北陸新幹線の開業で、富山、金沢は東京がずいぶん身近になった。石川県から青森県まで県都には新幹線が開通したことになる。

福井県までは2023年春ごろまでに開業する計画だが、鳥取や島根など山陰地方はまだまだ先のようだ。

日本は地形上、飛行機よりも鉄道の方が身近で便利に感じる。便利になることはいいことだが、その反面、不便になることもある。新幹線効果ばかり報道されるが、関西方面へ行くのが不便になったことや、高岡では在来線の駅と新幹線駅が別々になってしまったこと、それに伴って駅前商店街が将来どうなってしまうのか、など気になることがいくつもある。数十年も前から新幹線を熱望しながら、いざ実現してみれば、新たな問題も生まれるのである。

鳥取や島根にも新幹線の開業を願っている人たちも多いだろう。新幹線が走れば経済効果をもたらすだろうし、観光客もどっと押し寄せて来る。砂丘には人々があふれ、松江城の遊覧船乗り場には長い列が出来、出雲大社のさい銭箱はさい銭の音が鳴りやまないだろう。

しかし、今でも山陰を訪れた観光客は、人々の優しさや自然、歴史に心をときめかせ、かつて大陸との玄関口が日本海だったことを知る。

山口県の萩市は県都ではないが、それ以上に観光地として名前が知られている。萩は静かな風情のある城下町だ。保存地区の「萩城城下町」は、今も歴史が普段の顔をして、人々の生活の一部となっている。萩や松江のような町は太平洋側には見られない。日本らしい日本をもっと見つめ直して伝えていかないと、日本の伝統や文化は博物館にしか残らない。前に進むだけが成長ではないだろう。

写真は萩市保存地区。

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海は未知の世界

石川県・能登島 2015年8月16日版掲載

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私が初めて海を見たのは中学1年生の夏、林間学校に参加した時だ。当時、米は配給制で、3泊4日に1升の米をリュックに詰めて参加したのはもう60年も前になる。

初めての海は、荒れた日には大きな波が打ち寄せ、今まで見たこともない自然のエネルギーに感動したものだ。宿泊した民家では、蚊帳をつり、手押しの井戸ポンプの水で顔や体を洗った。数々の初めての体験を、今も思い出すことがある。

山育ちの私は、今も旅の途中で水族館があると、何となく入りたくなる。陸上と違って、海の中の世界は、簡単には覗くことができない未知の世界だ。

今年の春ごろ、水族館のイルカの入手方法がニュースになった。和歌山の伝統漁法が、イルカにストレスを与えるからとの理由で国際機関から批判を浴びた。結局、日本動物園水族館協会は、そのような方法で捕獲されたイルカを買わないことにしたという。

先日、石川県ののとじま水族館に行ってきた。夏休み前の平日で、人出も少なく、朝一番の館内は静かだった。それでも10時からのイルカショーの時間にはどこからともなくアベックや孫を連れた家族連れが集まって来て、ショーを楽しみにしているのが伝わって来た。ペンギンの行進もあり、大きな水槽には巨大なジンベイザメなど海の生き物が休むことなく泳ぎ続けている。

水族館では見た目には海の生き物と人間の関係がうまくいっているように見える。しかし見方を変えれば人間が悪知恵をえさを与えたりすることで支配しているようにも思える。人間と自然界の関係はいつも危ういところで成立している。水族館の生き物には危険もなければ自由もない。写真はのとじま水族館。

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八百万の神の地へ

島根県・松江城 2015年7月15日版掲載

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古い写真を、必要に迫られ整理することになった。ルーペで白黒フィルムをのぞきながら暗室で現像、プリントしていた時代が懐かしい。フィルムに記録されている撮影場所や、カメラの前に立っていただいた多くの人たちが懐かしく、撮影当時が思い出される。

フィルム時代は、写真を写すことは、今より数倍の技術が必要で、露出不足やピンボケ、カメラぶれなどが今のデジタル時代には考えられないぐらい大変だった。写真創世期の明治から昭和の初めころ、写真屋さんは紋付き、袴姿で、お弟子さんを連れて社会的にも尊敬され、一目置かれるほどだった。

今ではケータイで撮った写真が新聞の見開き広告に載る時代となった。誰が撮ってもきれいな写真が撮れる時代だが、中身が伴ってないことも事実である。若い女性向きのカメラも売り出され、ファッションの一部のように写真が楽しまれている。自撮りの器具も若い人たちばかりでなく、中年女性、男性までもがつえのようにケータイを持ち歩いている。これが、本当の写真の進歩なのか、ここまで来ると分からなくなる。旅に行きたくなる時、最初に思い浮かぶのが島根県だ。県都松江市のシンボルは松江城だろう。今年、松江城が国の重要文化財から国宝に格上げされた。水の都松江市には、城を中心にした堀川があり遊覧船が走る。宍道湖の周りは魚を釣る人、散歩する人、走る人、早朝にはシジミ漁の小型船が漁場目指してエンジン音を響かせて心地よい。

島根半島は、西に出雲大社、東に松江城、いたるところに八百万の神がいる。なんとうらやましい地であろうか。

写真は松江城。

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大切な宝 次代へ

新潟県・柏崎市 2015年6月10日版掲載

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日本列島は、南北に長く変化に富み、東西は日本海と太平洋に面して文化も風土も違う。日本民族のDNAは歴史、文化、食と、長い年月で培われ、島国独特のどこにも似ていない成長を成し遂げたと思う。

旅の面白さは、どこにいても土地のにおいや景色も違うからいつもわくわくする点にある。一人旅だと話す相手もいないから、街並みや農村、漁村を目で追いながら、頭の中を次から次へといろいろな事柄が駆け巡る。

日本海側は少し前までは”裏日本”と呼ばれた時代もあった。北陸新幹線開業を、100年に一度のチャンスと表現する財界人や政治家もいるが、太平洋側では50年も前に新幹線が走り、ようやく追いついただけのことである。

私の人生70年ばかりの中で、今の日本は一番バランスの悪い社会を作っているのではないだろうか。ささいな理由で起きる殺人事件、大企業を中心にした弱者との格差、三十数%という食料自給率事情、貧困児童が十数%もいる先進国・・・・・。億単位の海外援助の話を聞くと矛盾を感じるのは私だけだろうか。

私の行く日本海の村々の神社の境内は、かつては子どもの声や祭りでにぎわったであろうが、今は閑散として人影も見えない。近年まで聞かなかった認知症老人が田舎にも増えている。子どもの声をやかましいと嫌う老人も増えているとも聞くが、これも理解できない。

それでも、先人から受け継いだわずかの土地を、大切な宝として守り、野菜作りに励んでいるお年寄りを見ると頭が下がる。

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多様で奥深い能登

石川県・輪島市 2015年5月13日版掲載

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北陸新幹線の開業、NHK朝の連続テレビ小説「まれ」の影響で、今夏の能登はいつもと違うにぎわいをみせ、熱く燃えることだろう。

私が初めて能登の撮影に出掛けたのは、昭和45年ごろの夏で、道路の砂ぼこりを巻き上げて車を走らせた。富山から先端まで一周すれば400キロ近く。1日の行程とすればハードである。

能登は自然、歴史、文化に恵まれ、奥深く個性的で、日本のどこにも似ていない所が好きだ。富山湾に面した静かな海、日本海に面した外海は男性的で荒々しい。大陸文化との交流、北前船の往来による繁栄、キリコに代表される祭りや食文化、加賀文化に影響を受けた伝統工芸と多様である。漁に出ている若者や都会に出ている人々は、盆や正月には帰省しなくても、キリコなど地域の祭礼には帰って来る。

ところが最近の能登は、日本の他の地方と同じように少子高齢化で人口も減り、活力が低下しているように思う。若者の仕事がなく都会に行かざるを得ない。祭りもかつての元気はない。新幹線の開業で、にぎわいを取り戻してくれたらと願っている。

東京出身のキリコ会館の元館長、藤平朝雄さんは、だれよりも能登を愛し、能登の文化を発信している。カメラマンの渋谷利雄さんは能登の隅々まで知り尽くした「地方のカメラマンの見本」のような人。建築家の高木伸治さんは温厚な輪島のお兄さんで、チェコを一緒に旅した。民宿「さんなみ」の船下さん夫妻とは家族ぐるみのつきあいだ。皆さん優しく温かい。いつまでも元気でいてほしい。

写真は冬の日本海。作業は危険で大変だ。

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おやじについて

顔写真
池端 滋
いけはた しげる

1942年相倉生まれ
52歳まで東京と富山で
カメラマンとして生活
現在は妻と2人で民宿経営

写真集・連載・著書


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