海は未知の世界

石川県・能登島 2015年8月16日版掲載

IMG_9266 (640x427)

私が初めて海を見たのは中学1年生の夏、林間学校に参加した時だ。当時、米は配給制で、3泊4日に1升の米をリュックに詰めて参加したのはもう60年も前になる。

初めての海は、荒れた日には大きな波が打ち寄せ、今まで見たこともない自然のエネルギーに感動したものだ。宿泊した民家では、蚊帳をつり、手押しの井戸ポンプの水で顔や体を洗った。数々の初めての体験を、今も思い出すことがある。

山育ちの私は、今も旅の途中で水族館があると、何となく入りたくなる。陸上と違って、海の中の世界は、簡単には覗くことができない未知の世界だ。

今年の春ごろ、水族館のイルカの入手方法がニュースになった。和歌山の伝統漁法が、イルカにストレスを与えるからとの理由で国際機関から批判を浴びた。結局、日本動物園水族館協会は、そのような方法で捕獲されたイルカを買わないことにしたという。

先日、石川県ののとじま水族館に行ってきた。夏休み前の平日で、人出も少なく、朝一番の館内は静かだった。それでも10時からのイルカショーの時間にはどこからともなくアベックや孫を連れた家族連れが集まって来て、ショーを楽しみにしているのが伝わって来た。ペンギンの行進もあり、大きな水槽には巨大なジンベイザメなど海の生き物が休むことなく泳ぎ続けている。

水族館では見た目には海の生き物と人間の関係がうまくいっているように見える。しかし見方を変えれば人間が悪知恵をえさを与えたりすることで支配しているようにも思える。人間と自然界の関係はいつも危ういところで成立している。水族館の生き物には危険もなければ自由もない。写真はのとじま水族館。

入館案内

八百万の神の地へ

島根県・松江城 2015年7月15日版掲載

123_2371 (640x427)

古い写真を、必要に迫られ整理することになった。ルーペで白黒フィルムをのぞきながら暗室で現像、プリントしていた時代が懐かしい。フィルムに記録されている撮影場所や、カメラの前に立っていただいた多くの人たちが懐かしく、撮影当時が思い出される。

フィルム時代は、写真を写すことは、今より数倍の技術が必要で、露出不足やピンボケ、カメラぶれなどが今のデジタル時代には考えられないぐらい大変だった。写真創世期の明治から昭和の初めころ、写真屋さんは紋付き、袴姿で、お弟子さんを連れて社会的にも尊敬され、一目置かれるほどだった。

今ではケータイで撮った写真が新聞の見開き広告に載る時代となった。誰が撮ってもきれいな写真が撮れる時代だが、中身が伴ってないことも事実である。若い女性向きのカメラも売り出され、ファッションの一部のように写真が楽しまれている。自撮りの器具も若い人たちばかりでなく、中年女性、男性までもがつえのようにケータイを持ち歩いている。これが、本当の写真の進歩なのか、ここまで来ると分からなくなる。旅に行きたくなる時、最初に思い浮かぶのが島根県だ。県都松江市のシンボルは松江城だろう。今年、松江城が国の重要文化財から国宝に格上げされた。水の都松江市には、城を中心にした堀川があり遊覧船が走る。宍道湖の周りは魚を釣る人、散歩する人、走る人、早朝にはシジミ漁の小型船が漁場目指してエンジン音を響かせて心地よい。

島根半島は、西に出雲大社、東に松江城、いたるところに八百万の神がいる。なんとうらやましい地であろうか。

写真は松江城。

入館案内

大切な宝 次代へ

新潟県・柏崎市 2015年6月10日版掲載

170_7088 (640x427)

日本列島は、南北に長く変化に富み、東西は日本海と太平洋に面して文化も風土も違う。日本民族のDNAは歴史、文化、食と、長い年月で培われ、島国独特のどこにも似ていない成長を成し遂げたと思う。

旅の面白さは、どこにいても土地のにおいや景色も違うからいつもわくわくする点にある。一人旅だと話す相手もいないから、街並みや農村、漁村を目で追いながら、頭の中を次から次へといろいろな事柄が駆け巡る。

日本海側は少し前までは”裏日本”と呼ばれた時代もあった。北陸新幹線開業を、100年に一度のチャンスと表現する財界人や政治家もいるが、太平洋側では50年も前に新幹線が走り、ようやく追いついただけのことである。

私の人生70年ばかりの中で、今の日本は一番バランスの悪い社会を作っているのではないだろうか。ささいな理由で起きる殺人事件、大企業を中心にした弱者との格差、三十数%という食料自給率事情、貧困児童が十数%もいる先進国・・・・・。億単位の海外援助の話を聞くと矛盾を感じるのは私だけだろうか。

私の行く日本海の村々の神社の境内は、かつては子どもの声や祭りでにぎわったであろうが、今は閑散として人影も見えない。近年まで聞かなかった認知症老人が田舎にも増えている。子どもの声をやかましいと嫌う老人も増えているとも聞くが、これも理解できない。

それでも、先人から受け継いだわずかの土地を、大切な宝として守り、野菜作りに励んでいるお年寄りを見ると頭が下がる。

入館案内

多様で奥深い能登

石川県・輪島市 2015年5月13日版掲載

161_6175 (640x427)

北陸新幹線の開業、NHK朝の連続テレビ小説「まれ」の影響で、今夏の能登はいつもと違うにぎわいをみせ、熱く燃えることだろう。

私が初めて能登の撮影に出掛けたのは、昭和45年ごろの夏で、道路の砂ぼこりを巻き上げて車を走らせた。富山から先端まで一周すれば400キロ近く。1日の行程とすればハードである。

能登は自然、歴史、文化に恵まれ、奥深く個性的で、日本のどこにも似ていない所が好きだ。富山湾に面した静かな海、日本海に面した外海は男性的で荒々しい。大陸文化との交流、北前船の往来による繁栄、キリコに代表される祭りや食文化、加賀文化に影響を受けた伝統工芸と多様である。漁に出ている若者や都会に出ている人々は、盆や正月には帰省しなくても、キリコなど地域の祭礼には帰って来る。

ところが最近の能登は、日本の他の地方と同じように少子高齢化で人口も減り、活力が低下しているように思う。若者の仕事がなく都会に行かざるを得ない。祭りもかつての元気はない。新幹線の開業で、にぎわいを取り戻してくれたらと願っている。

東京出身のキリコ会館の元館長、藤平朝雄さんは、だれよりも能登を愛し、能登の文化を発信している。カメラマンの渋谷利雄さんは能登の隅々まで知り尽くした「地方のカメラマンの見本」のような人。建築家の高木伸治さんは温厚な輪島のお兄さんで、チェコを一緒に旅した。民宿「さんなみ」の船下さん夫妻とは家族ぐるみのつきあいだ。皆さん優しく温かい。いつまでも元気でいてほしい。

写真は冬の日本海。作業は危険で大変だ。

入館案内

木の間から仏の姿

大分県・豊後高田市 2015.4.15版掲載

IMG_7291 (800x533)

今日、私たちの日常に宗教の影は薄い。子どもの頃、遊び場はお宮さんの境内で、雨の日は寺の本堂がかくれんぼの場所だった。大人たちは神社や寺の前では頭を下げ、何かブツブツ願い事をしていた。神社や寺院の境内もかつては、どこも出入り自由で、拝観料などはいらなかったのに、今は観光地になって一年中混雑しているところも多い。

京都の街も昔は「二・八」と言って、2月と8月は寒さや暑さで観光客も少なく静かだった。少なくとも私が高校1年生だった約50年前、京都の親せきの家で過ごした夏はそうだった。

大分県・国東半島は、神仏習合の地として、日本でも最も有名な聖地であろう。大分空港から車で40~50分、山間の道は、すれ違う車も少ない。標識を頼りに進むと胎蔵寺に着く。12月の粉雪の舞う日で、観光の車も2、3台。静かなたたずまいの小さな寺だ。

山道を少し登り、鬼が一夜で築いたと伝えられる自然石の石段を100段近く登る。巨大な岩に刻まれた日本最大といわれる大日如来と不動明王の磨崖仏が木の間から現れる。高さは、大日如来像は6.8メートル、不動明王像は8メートル。堂々たる貫禄である。山頂の熊野神社の権現が仏の姿で現れたもので、どちらも頭部は鮮明に刻まれているが、下は自然石のまま地面に埋没したように見える。

神と仏は、昔はもっと親密だったのに、明治政府の神仏分離政策で無理矢理別れさせられたのだ。私の家では、今でも神棚と仏壇が同じ部屋で仲良く並んでいる。写真は国指定史跡で重要文化財の熊野磨崖仏。近くにも多くの磨崖仏があり、臼杵市の国宝・臼杵石仏も有名だ。

入館案内







ホームへ戻る


おやじについて

顔写真
池端 滋
いけはた しげる

1942年相倉生まれ
52歳まで東京と富山で
カメラマンとして生活
現在は妻と2人で民宿経営

写真集・連載・著書


おやじの今月の一枚
相倉の四季