木の間から仏の姿

大分県・豊後高田市 2015.4.15版掲載

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今日、私たちの日常に宗教の影は薄い。子どもの頃、遊び場はお宮さんの境内で、雨の日は寺の本堂がかくれんぼの場所だった。大人たちは神社や寺の前では頭を下げ、何かブツブツ願い事をしていた。神社や寺院の境内もかつては、どこも出入り自由で、拝観料などはいらなかったのに、今は観光地になって一年中混雑しているところも多い。

京都の街も昔は「二・八」と言って、2月と8月は寒さや暑さで観光客も少なく静かだった。少なくとも私が高校1年生だった約50年前、京都の親せきの家で過ごした夏はそうだった。

大分県・国東半島は、神仏習合の地として、日本でも最も有名な聖地であろう。大分空港から車で40~50分、山間の道は、すれ違う車も少ない。標識を頼りに進むと胎蔵寺に着く。12月の粉雪の舞う日で、観光の車も2、3台。静かなたたずまいの小さな寺だ。

山道を少し登り、鬼が一夜で築いたと伝えられる自然石の石段を100段近く登る。巨大な岩に刻まれた日本最大といわれる大日如来と不動明王の磨崖仏が木の間から現れる。高さは、大日如来像は6.8メートル、不動明王像は8メートル。堂々たる貫禄である。山頂の熊野神社の権現が仏の姿で現れたもので、どちらも頭部は鮮明に刻まれているが、下は自然石のまま地面に埋没したように見える。

神と仏は、昔はもっと親密だったのに、明治政府の神仏分離政策で無理矢理別れさせられたのだ。私の家では、今でも神棚と仏壇が同じ部屋で仲良く並んでいる。写真は国指定史跡で重要文化財の熊野磨崖仏。近くにも多くの磨崖仏があり、臼杵市の国宝・臼杵石仏も有名だ。

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山と海と教会と

熊本県・天草市 2015.3.11版掲載

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明治40(1907)年夏、5人の若き詩人が九州を旅した。与謝野鉄幹をリーダーに、北原白秋、吉井勇、木下杢太郎、平野万里。いずれも20歳代の学生であった。

東京を出発して約1カ月かけての旅は、九州、中でも熊本県・切支丹遺跡と、大井天主堂のフランス人宣教師、ガルニエ神父に会うことが目的だった。

明治25(1892)年、天草に着任したガルニエ神父は、住民から親しまれ、尊敬されながら清貧な生活を送っていた。情報の少ない時代でありながら、ガルニエ神父の人となりは東京にも届いていたのだ。

雲仙や長崎、天草と、聞き慣れた土地名でありながら、異国のにおいがするのも、日本の中では特別だ。島では平地が少なく、車は山あいを縫うように走り、海岸沿いの道路は南国らしく大きなシュロの木の下を走る。目指すは崎津カトリック教会。1569年に建てられ、天草がキリスト教中心のまちになった教会でもある。現在の建物は昭和9(1934)年の建築。国が五島列島の教会群を世界遺産に登録推薦しようとしている”顔”でもある。

崎津は、山と海に挟まれたわずかの平地に家並みが軒を連ねている。教会は奥まった所に静かにたたずまいを見せている。隣の民家では、おばさんが干物のおみやげ作りに一生懸命だ。シーズンオフで観光客もなく、堂内はひっそりしている。正面に向かって、なんとなくお寺のようにお参りをした。車で10分ほど走ると大江天主堂に着く。昭和8年完成の天主堂は山の中ほど、集落の一番上にある。明治40年の若者は、汽車と馬車と徒歩でここまで来た。私は飛行機と車での旅。中身が違いすぎる。

写真は羊角湾を挟んで望む崎津カトリック教会。美しい尖塔が特徴的だ。

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大噴火から90年

鹿児島県・桜島 2015.2.11

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昨年末に九州を旅した。今回は、日本海から離れ、鹿児島県・桜島について書く。

55年前、高校生の時に雑誌で見た1枚の写真が今も目に焼き付いている。写真家、奈良原一高(1931年~)は、早稲田大大学院時代に九州を旅し、長崎県・端島(通称・軍艦島)にカメラを向け、桜島の黒神村(現在は鹿児島市)にも足を伸ばした。1957年、「人間の土地」と題して一連の写真を中央公論に発表している。

端島は、島全体が炭鉱労働者と家族が暮らす1つの町で、当時の日本のエネルギー政策を象徴する土地だった。周囲はコンクリートで固められ、緑が少ない印象だった。

私の記憶の1枚は、桜島の黒神村の地中に埋没した鳥居の写真である。大正13(1924)年の桜島の大噴火は、687戸あった村の家屋をはじめ3㍍以上もあった鳥居までも地中に埋めてしまった。当時の村長が噴火のすさまじさを後世に伝えようと、鳥居の上部を掘り起し、今に伝えている。

私の住む五箇山は豪雪地帯ではあるが、その他の自然災害は少ない。1枚の鳥居の写真から、人間の手が届かない自然のエネルギーと人間の関係を感じたのではなかろうか。私もちょうど写真に強くひかれ、将来は写真家の道を志そうと思い始めたころだった。

現在、鳥居は観光客も見学に来る観光スポットになっている。裏手には黒神中学校がある。校庭の職員に話しかけると、いろいろと話してくれる。現在中学の生徒数は5人で、教職員は16人といい、まことにぜいたく。当分、統合の予定もないそうだ。校舎の裏は桜島。頂上から噴煙が上がっている。地下の活動は大正の大噴火から変わらないという。

噴火から90年。日本も大きく変わった。天災、人災、何が起きても不思議ではない。私たち人間も、もう少し謙虚に生きることが大切ではないかと思うのだが。

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さようなら、凜

富山県・相倉合掌集落 2014.11.10

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今月は我が家の犬の話を届けたい。縁あって2000年、我が池端家に犬が加わった。ラブラドールレトリバー。生まれて1ヶ月目にやって来た時は、手のひらに乗るぐらいの小ささで、ぬいぐるみのように可愛い子犬だった。

きっかけはチェコ旅行。1999年8月、プラハのペンションの一家が大型犬のセントバーナードを飼っていた。人間なんて我関せずとばかりに、巨体をノッシノッシと揺すりながら歩いていて、それまでの犬のイメージを大きく変えてしまった。その強い印象から、翌年4月、つてを頼って我が家に犬を迎え入れることになった。

50年も昔の話。当時の日本を代表するカメラマンだった土門拳は「撮影のない日は、自宅でフィルムを入れてないカメラで、愛猫の素早い動きを瞬時に写す訓練をしていた」と話していた。当時はカメラのファインダーも暗く、ピントも手で合わせる。今時の何倍もの時間と手間がかかり、猫の早い動きを写すのは高度の技術が求められ、至難の業でもあった。

今はデジタル時代。シャッターもピントも全自動で、素人でも動きの早い被写体に対応できる。

我が家に話を戻すと、犬は毎日朝晩の散歩が欠かせない。大型犬だけに20~30分は毎回付き合う。いつもコンパクトのデジカメをポケットに入れ、四季を通じて愛犬「凜」と私の散歩が日々続いた。雨が降っても、雪が降っても必ず続いたから不思議だ。

14年と5カ月。今年8月5日の夕方、「凜」は散歩から帰ると、急に呼吸困難になり、わずか4時間後にこの世にさようならした。4カ月が過ぎてもさみしさは変わらない。近いうちに「凜」の写真集をとも考えている。

写真は朝の散歩の帰りの日課でもあった、新聞を口にくわえて帰ってくる「凜」。

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寂しい「本物の舞」

島根県・浜田市 2014.11.12

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車の旅も時には体の負担になる。鉄道の旅も楽しいだろうし、バス旅行も視点が違って見えるだろう。しかし、計画の段階で車の便利さに負けてしまう。

大都市とは違い、日本海側の公共交通の旅は不便すぎる。地方は道路が整備され車社会が進む一方、少子高齢化、人口減の影響で公共交通の利便性はこの上なく悪い。時間に余裕があれば車に頼らない旅ができるのに、と思いつつ、いつも同じことを繰り返している。

中国山地を挟んで島根県や広島県では、秋祭りに豊作や豊漁に感謝して神楽が奉納される。古くから伝わる伝統芸能で、笛や太鼓に合わせて1着何百万円もするという豪華な衣装と面を着けて舞う。演目は30以上もあり、古事記や日本書紀を基にストーリーが作られている。

島根県石見地方も神楽が盛んな地で、130以上の団体がある。公演情報によれば、一年中各地で上演され、大都市や海外も含め、週末には定期的に見ることができる。

同県浜田市の今宮神社の秋祭りで、奉納神楽を撮影する機会を得た。案内によれば、午後8時から11時までの3時間。他では夜通しの神社もある.神社の境内には観客が30~40人いて、思っていたより少ない。舞殿ではスピード感ある舞が続く。大人より子どもや若い女性の笑い声が聞えて来て、楽しんでいる様子が心地いい。

それにしても観光客らしき人やアマチュアカメラマンが一人もいない。話によれば、週末の定期公演には多くの人が集まるが、本来の秋祭りはそうでもないらしい。神社の舞殿での本物の舞が寂しいのは、なんとも寂しいものだ。

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おやじについて

顔写真
池端 滋
いけはた しげる

1942年相倉生まれ
52歳まで東京と富山で
カメラマンとして生活
現在は妻と2人で民宿経営

写真集・連載・著書


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