SLに笑顔あふれる 島根県・津和野

2018年12月7日版掲載

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18歳から20代半ばまで過ごした東京時代の記憶が、人生の中で一番強く残っている。

一つ思い出すと、次から次へと話がつながる。東京のアパートの大家さんに電話を借りて、電話局の交換手に番号を告げると、つながるのに2~3時間もかかった時代だった。

当時、お盆と正月には帰省いていた。移動といえば汽車。盆、正月ともなれば始発の上野駅は東北や北陸に帰省する人たちで大にぎわい。夜行列車なのに朝から行列ができていた。夜の9時ごろに出発すれば朝7時ごろに高岡駅に着いた。

ホームには洗面台があり、蒸気機関車の長い旅ですすけた顔を洗ったものだ。夏は暑いから窓は開けたまま。顔から着ているものまですすだらけだった。半世紀も前の話だ。

最後に蒸気機関車に乗ったのは中国。1979年、太原から西安へ、一日中汽車に乗っていた。客車を数多く連結し、先頭が煙を吐きながら遥か先を走っていた。外国人だからか、客車は最後尾の方。自慢の機関車製造工場の見学もあり、今から思えば大人の遠足のようだった。

現代はストレス社会。日常から解放されたい気持ちがいつもある。その一つが旅だろう。車に電車に新幹線に飛行機・・・・・。そしてSLにも乗ってみたい。

山口県の新山口駅から島根県・津和野駅までを約2時間でつなぐ蒸気機関車「SLやまぐち号」が走っている。冬を除く土、日曜中心の運行で、予約したいっぱいのお客さんを乗せて汽笛を山あいに響かせながら走っている。

終点の津和野駅のホームは、到着と同時に人々で満ちあふれる。老若男女が携帯電話やカメラを手に写真撮影している。みんな笑顔いっぱい。なんと幸せなことだろう。

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安らぎ求める聖地 山形県・羽黒山

2018年11月2日版掲載

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私の旅は晴れた日が多い。雨や雪の日もあるが、撮影目的だけは達成できているから、ツキはいい方だと思っている。

二十数年前、山形県羽黒山の国宝、東北最古の五重塔を訪れた。3月の寒い朝で、凍った石段を下る途中で足を滑らし、後頭部をしこたま打った。それから十数年後、豪雨と霧の中を羽黒山付近を走行中、誤って車の後部バンパーに大きなへこみを作ってしまった。この二つの出来事は忘れないでおきたい。

羽黒山は日本列島の中でも聖地中の聖地である。人々はいにしえより山海の恵みなど自然の恩恵に感謝しつつ、心の安らぎを求めてきた。羽黒山、月山、湯殿山の「出羽三山」の1400年の歴史の中で、人々は東北地方の厳しい自然環境を、山伏の修行場や山岳霊場の聖地として造り上げた。年月を重ねることで、過去、現在、未来の三山の地で、他では見られない独特の形が生まれた。

出羽三山山岳信仰の中心地、出羽三山神社の三神合祭殿は一年中参詣できる。月山、湯殿山は冬季は雪で閉ざされるが、羽黒山はいつでも車で行ける。山頂は大木に囲まれた森で、参詣者の集団が小さく見える。大きな鐘楼のその奥に、豪壮な本殿が現れる。高さ28㍍、周囲を圧倒する姿だ。日本一の茅葺き(かやぶき)屋根が信仰の深さを表している。正面の急な階段を昇ると、堂内は薄暗く、灯明が闇に浮かぶように光を放っている。

明治政府の神仏分離・廃仏毀釈によって、山岳霊場も様変わりしたが、出羽三山は今も変わらぬ深いエネルギーを秘める。その中で、現代の世界に何を伝えようとしてるのか、しばし考えた。

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鬼らしくない鬼 青森県・五所川原市

2018年10月5日版掲載

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私が住む富山県・五箇山地方は、豪雪地帯で、十数年に一度は5㍍を超える積雪がある。昭和38(1963)年、同56(81)年も5㍍を超えた。

今日のような車社会ではなく、雪はその場で高く積まれたままだった。除雪機もなスコップだけが頼りの時代で、雪が降り続けば家族総出の雪との戦いとなった。そんな冬でも、終わってみれば「今年は雪が多かったね」で、いつも通り春を迎える。

ここ数年の異常気象は被害が多すぎる。それに加えて、日本は地震でも大きな被害を受ける。近い将来、大都市でも大きな地震が予想されている。もし、東京で直下型地震が起きれば、日本はそれこそ立ち上がれなくなるぐらいの痛手を受けると常々思っている。それでも日々は過ぎていく。人間はもともとその程度のものだと思うことにしている。

青森県津軽地方は寒冷地。昔から天候不順に痛めつけられてきた。今でこそ品種改良や特産物の生産で昔のような被害を受けることも少なくなった。それでもいつの時代も変わらないのは「祈る」ことだ。ことあるごとに人は祈る。

全国に鬼伝説が数多くある。悪い鬼もいれば、良い鬼もいる。同県五所川原市金木町にも鬼っこ伝説がある。この鬼は親しまれる魔除けの鬼である。鳥居の上部「額束(がくづか)」と呼ばれる場所で、鬼が住民を迎える。赤鬼もいれば、青鬼もいる。そのうち熊野宮では奉納米俵の上で、力士のような白い鬼が下界を見下ろしている。皆が健康で幸福でありますように願っている。穏やかな、鬼らしくない鬼である。

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湖上に浮かぶ集落 滋賀県・沖島

2018年9月7日版掲載

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私は日本海沿いを好んで旅する。山峡に生まれたことも影響しているのだろう。山里の生活は想像がつくが、海辺の生活は知らないことや分からないことも多い。おそらく大変なことも多いだろう。

滋賀県の琵琶湖に浮かぶ沖島は、日本で唯一の「淡水湖に浮かぶ有人島」だ。近江八幡市沖島町は人口約270人が暮らす。車も信号もない。島内の移動は三輪車が主で、島の外に出るには、日に12便の通船か個人の船で約10分。通勤、通学、通院、買い物に船で出かけることになる。

幼稚園、小学校は島内にあるが、中学校からはない。漁業が主な産業で、漁獲高は琵琶湖全体の半分を占めるというから、漁港の規模も大きい。

コンビニやスーパーがないからか、時間の流れが違う日常がある。わずかな平地に建物が密集しており、広場があれば、子供たちは走り回り、老若男女が話に花を咲かせている。住民同士のつながりは強く、都会の人たちには考えられないような信頼関係がある。裏を返せば知られたくないようなことまで知られてしまっているのかもしれないが。

集落の高台に奥津嶋神社がある。急な階段を昇ると、境内から眼下に集落の屋根が連なっている。路地も見えないぐらいだ。漁港の先に琵琶湖が広がる。大海の島と違うのは、琵琶湖の先に陸地の山並みが見えることだ。沖島案内パンフレットに、沖島訪問の皆様に八つのお願い書きがある。公衆トイレの利用、路地は静かに、ゴミはお持ち帰りを、歩きながらのタバコはご遠慮ください、などなど島民の生活を汚すことは許されない。源氏の落人が住み着いたことが始まりとされる島。私たちも学ぶことが多い歴史の島である。

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一瞬にして乱世に 青森県・義経寺

2018年6月8日版掲載

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私が初めて小説らしきものを手にしたのは、小学4年生の時の「源義経」だった。その頃、村の小学校には図書館もなく、教科書以外で目にする本らしきものはなかった。父が、町から赴任してきた先生にお願いして、町の本屋で買ってきてもらったものだった。

本の中身は正確には覚えていないが、源義経を中心に、源平の戦い、兄の頼朝との信頼と憎しみ、弁慶との出会いが描かれていた。

私の住む五箇山も平家の落人伝説が語り継がれている土地で、源氏とも無縁ではない。小説の主立った舞台、香川・屋島や山口・壇ノ浦、京都・五条大橋、石川・安宅の関跡、奥州・平泉などへはその後、私も足を運んでいる。

本州の日本海側最北端、私の好きな津軽半島・竜飛岬にあるホテルのフロントで「源義経の北行伝説が伝わる義経寺(ぎけいじ)があるから、じかんがあれば」と勧められた。ホテルからは国道339号を南へ約10㌔。東津軽郡外ヶ浜町の三厩漁港(みんまやぎょこう)のすぐそばの高台にあるとのことだった。

夕方だとすれ違う車も少ない。三厩漁港は結構大きな港で、海にせり出すように小高い丘がおる。山肌を取り巻くように、階段が連なっている。ゆっくり登ると、目の前に山門が現れて、「義経寺」の文字が読める。山門から右手に津軽海峡が見えてくる。演歌の世界だ。

山門をくぐれば本堂の灯が目を引きつける。伝説の地と分かっているので、時間が一瞬にして乱世の時代に戻る。言葉では表現できないほど、人々の汗と涙で歴史をつないできたに違いない。旅は多くのものを見せてくれる。

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おやじについて

顔写真
池端 滋
いけはた しげる

1942年相倉生まれ
52歳まで東京と富山で
カメラマンとして生活
現在は妻と2人で民宿経営

写真集・連載・著書


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