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記憶 この一枚に 石川県・輪島市

2021年3月6日版掲載

(2007年4月に始まった当コーナーは、今回が最終回です。約150回にわたり、日本海側の文化を紹介させていただきました。長い間のご愛読に感謝申し上げます。)

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昭和30~40年代の高度成長期、社会が安定し、日常の暮らしに余裕が生まれると、人々は余暇を楽しむために趣味を持つようになる。勤め先の企業でも映画サークル、ダンスや生け花クラブなど今で言うカルチャー教室のような集まりが次々と出来た。

ちょうどカメラが普及する頃で、カメラクラブも生まれた。写真を写しています、と言うと「いい趣味をお持ちですね」と言われた時代だ。私も当時、小さなカメラ店を営んでいて、お客の半分は近所の人たちで、あと半分は写真好きのたまり場だった。

用事がなくてもブラリと立ち寄って時間を過ごしていく。世間話や写真談議で時を忘れて話し込んだ。当時のカメラ屋さんのお客さんは、みんな似たりよったり。私の店にも何軒もはしごするお客さんがいて、いろいろ情報を提供してくれたものだ。

その後、時代はフィルムからデジタルに変わり、カメラ屋さんの中身も変わっていく。全国チェーンのカメラ店がお客を集めるようになると、小さなカメラ屋さんは次々と閉店に追い込まれていった。これも時代の流れだったのだろう。

当時、富山の写真好きがよく通ったのが、石川県・能登地方だ。能登は四季を通じて多様多種な祭りが多い。輪島市皆月地区の「アマメハギ」は、秋田県・男鹿半島に伝承されている「なまはげ」とルーツがよく似ている。今は国の重要無形民俗文化財に指定されている。

全国各地に伝わる「仮装の神々」の伝承行事の一つで、地方地方で形を変え、「外に出ないで怠けてばかりいると、強い子になれないぞ」と、鬼の面をかぶった者が家に入る。能登では、鬼やテング、猿の面を付けた一行が家々を訪れ、「怠け者はおらんか」と家々を回る。ゲームやテレビとは違い、怖いけど記憶に残る一日だろう。

 

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雪のぬくもり 富山県・相倉合掌造り集落

2021年2月6日版掲載

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2019年の暮れに東北を旅して以来、1年2カ月間、県外には一歩も出ていない。これはコロナ禍のせいだ。

そして今度は、20年12月からの1カ月間に3回の寒波襲来。特に1月上旬は、北陸地方を中心に豪雪に振り回された。高速道でも車の事故や立ち往生などで大きな被害が出た。ここ数年のゲリラ豪雨に近い気象現象に似ていると思う。

私の住む五箇山地方は、もともと豪雪地帯だから、2~3メートルの積雪に驚くことはないが、そうではない土地に住む人々は、近年の雪の少なさに慣れてしまっているのか、今冬の降り続く雪に社会がバタバタしていたような気がする。

富山市でも昭和56(1981)年の「五六豪雪」時に比べて車も増え、生活環境が変わってしまい、除雪もままならず対応が追いつかないようだ。

いつの時代であっても、若いエネルギーに満ちた家庭と違って、私たちのような高齢者世帯は、人の助けが必要だ。風もなく静かな朝を迎えて玄関の戸を開けると、60~70センチの雪が一晩で積もっている。そんな朝、近所のお父さんが小型除雪機で公道まで不自由なく歩けるように除雪してくれる。

家の裏にある土蔵に屋根を見れば、2メートルほども積もっている。お願いすれば村の若者たちが、忙しい中でも気持ちよく手伝ってくれる。

自宅の裏は、落ちた屋根雪が積み重なり家中真っ暗だ。いつもお願いしている建設会社に電話すれば、社長が大型ショベルカーを持ち込んで除雪をしてくれる。都会では考えられないことだろう。いつも人に助けられて生きているのだとつくづく思う。

写真は、一時の晴れ間を見つけて、雪山で村の子供たちが遊んでいる。子供の歓声が除雪で疲れた気持ちを癒してくれる。子供は宝だ。

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神が求める異様 石川県・能登町

2020年12月5日版掲載

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福岡県柳川市は有明海に面した風情ある水郷の地方都市として知られている。市全体に水路が張り巡らされ、総延長は470キロとも言われている。また、北原白秋の生誕の地でもある。

堀割とも呼ばれる水路は、市民生活に重要な役割を果たしてきた。いつの時代も水はきれいで、水辺の生物たちも人々に潤いを与えてきた。

生活の一部だった川も、高度成長期には上下水道が整備され、水辺も少しずつ人々から離れていく。時の経過とともに川辺には汚れも目立つようになり、悪臭も発生した。柳川市も他の都市と同様に、掘割を埋める都市計画を昭和52(1977)年に市議会で決議した。しかし、ここからが柳川のすごいところだ。時の担当者の都市下水道係長が、この計画に異議を唱え、川を清浄にして水路の機能を回復することが重要だと、市や住民に訴えた。

水路を一度なくしたら、水郷柳川は元に戻らない。元のきれいな水路に再生しようという呼びかけは、人々の心を動かし、水路は守られた。

この実話は、当時、アニメ映画製作で名を知られていた宮崎駿さんと高畑勲さんの2人が、制作と監督の立場でドキュメンタリー映画に仕上げた。2時間45分の長編「柳川掘割物語」である。34年前に見たドキュメンタリー映画を、今もその地を旅して、掘割を見るたびに思い出す。忘れられない一本だ。

写真は能登半島の能登町のあばれ祭。祭神「須佐之男命(すさのおのみこと)」は、荒ぶる神。海の中、火の中へ屈強な海の男たちによっていたぶられる。きれいでもない川の中を男たちがみこしをかついで走り回る。

祭りは何が起きるか想像できない。神が求めているからだろうか。

 

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密を楽しむ舞踏 福井市・五太子町

2020年11月7日版掲載

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新型コロナウイルスに関して日本は、海外の広がりから見れば低い水準で推移しているようだ。一番の感染防止策は、三密を避けるようにと言われている。東京の朝の通勤電車での感染が話題にならないのは、テレワークなど社会の仕組みが大きく変わっているからだと想像している。

一方、スポーツや演劇などで少しずつ入場者を増やしているのは、経営面の問題もあろうが、ファンとしてテレビで見るのと生で見聞きするのとでは、五感の違いが大きいからだろう。

1960年代の後半、「アングラ演劇」と称して、今まで見たこともない舞台が登場した。東京・新宿公園で、状況劇場を主宰する唐十郎(80)が紅テント公演を上演した。演目は「腰巻お仙」。当時マスコミや若者の間で話題になり、世間を驚かせたものだ。「唐に続け」とばかりに全国の若者が既成の演劇にはない方法で活動を始めた。

富山でも私の友人が毎夏、富山市の富山城址公園でテントを張り、自前の作品を上演し、保守的な富山の若者にも大いに刺激を与えたものだ。公演会場のテントの中には演じる者も見る者も手を伸ばせば届く距離。客同士は知人でなくても肩も膝も触れ合う密の世界だった。演者と客が五感を共有し、蜜を楽しんだ時代でもあった。

写真は福井市五太子町の山中での古民家であった舞踏公演。室伏鴻(1947~2015)が主宰する女性グループ「アリアドーネの会」と舞踏派「背火」との公演だ。煙にいぶされた古民家の空間で、最小限度の下着をつけて体全体を白いおしろいを塗った男女が、ジャズ演奏者、坂田明のサックスで揺れ動くさまは、夢のようだった。夜が明けた翌日の朝の光景が思い出される。

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不思議で魅力的 島根県・津和野

2020年10月3日版掲載

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津和野は、島根県南西部に位置し、山陰の小京都と呼ばれている。周囲を山に囲まれ、津和野川沿いに街並みが広がる。古い町並みの本町通りを中心に、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている。

歴史的建造物も数多く、山城の津和野城跡、森鴎外旧宅(いずれも国指定史跡)、ステンドグラスが美しい津和野カトリック教会など、多様な文化が入り交じった不思議で魅力的な町だ。

私が津和野で楽しみにしていたのは、安野光雅美術館。今年94歳の安野さんは津和野出身の画家で、美術館には多くの絵本原画が展示されている。ヨーロッパの街並み、田舎の風景、人物、不思議絵が優しい色彩で描かれている。年代を問わず楽しめる。人間、化学、文学など旺盛な好奇心から生まれる知識は豊富で、文章の達人でもある。司馬遼太郎の「街道をゆく」の装画でも知られている。

もう一つは「桑原史成写真美術館」。桑原さん(83)は、同じく津和野出身で、昭和を代表する社会派カメラマンだ。代表作ともいえる水俣病患者を撮影した作品や炭鉱労働者の写真は、日本の高度成長期の裏にある社会問題を深くえぐり出した。いずれも時がたてば忘れ去られてしまうかもしれず、写真での記録は大きな意味がある。もう桑原さんのような骨太のカメラマンは生まれないだろう。

津和野には、鉄道ファンにはたまらない一面もある。新山口駅から津和野まで毎年期間限定でSL「やまぐち号」が走っている。SL到着時の駅のホームは、乗り鉄と撮り鉄ファンの笑顔であふれている。写真は「伝建地区」に指定されている本町通り。普段は静かだ。

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おやじについて

顔写真
池端 滋
いけはた しげる

1942年相倉生まれ
52歳まで東京と富山で
カメラマンとして生活
現在は妻と2人で民宿経営

写真集・連載・著書


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