桜は日本人の ”心” 石川県・能登鹿島駅

2019年4月5日版掲載

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春は何かと忙しい。日本社会には卒業、入学、就職に退職、転勤など人生の節目になる出来事が多い季節だ。そのようなせわしない日々を見守ってくれるのが桜の花ではなかろうか。

桜の開花は日本人にとっては一大関心事であり、3月に入れば、天気予報は桜の情報でもちきりとなり、雑誌は桜の特集が満載で、どこもかしこも桜の花が満開となる。

庶民の花見文化は、江戸時代に幕府が桜の木を植えて名所を造ったのが始まりのようだ。今では花見は一般化し、北上する桜前線とともに日本列島を旅する人、名木を求め重い撮影機材を車に積んで撮影に飛び回る人などいろいろだ。桜は日本人に夢とエネルギーを与え、自然と向き合う繊細な精神性をも植え付けてくれる。文学や絵画、音楽など多くの芸術に影響を与えており、このような植物は桜以外には思い当たらない。

今やシーズンともなれば、外国人も大勢押しかけるようになり、既に桜は日本人だけのものではなく、国際交流にも一役かっている。そんな桜だが、戦争中は花見の余裕もなく暗い時代も経験している。そんな時代、桜は我々人間の愚かさをじっと見続けていたのだろう。声なき声で。

満開の桜の下、多くの花見客とともに写真を撮影する人も集まる。群衆の中では、特にマナーが必要だ。みんなが楽しめるためにも、気遣いの心が求められている。

写真は石川県ののと鉄道の能登鹿島駅。愛称は「のとさくら駅」。ホームは桜で満開だ。

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ここは、本州の袋小路 青森県・竜飛崎

2019年3月8日版掲載

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半世紀以上前の村祭りや宴席では、酔うほどに老若男女が手拍子で五箇山民謡や演歌を声高に歌ったものだ。隣の酒好きのおじさんの十八番は春日八郎の「お富さん」と、城卓矢の「骨まで愛して」で、歌う姿は幸せいっぱいだった。

その後、高度経済成長時代、言葉も分からないまま絵画と同じようにあらゆる音楽が世界中から入ってきた。その多くは日本社会に根付き、生活や趣味の幅を広げ、世界を知るきっかけにもつながっていった。

私自身、今もジャズは日常的に聴いているし、ポルトガル生まれのファドも、一度はリスボンの酒場で生の歌声を聴きたいと思い続けている。英語もポルトガル語も理解できないが、曲を聴き、その国の人たちの心や文化に強くひかれる。

日本の演歌も人並みに聴いてきた。言葉が分かるから、菓子にも作詞者にも好きずきが生まれる。吉岡治氏の歌詞は、想像もつかない言葉でつながっていく。同じ言葉でも新鮮さが違う。石川さゆりの歌う「天城越え」も吉岡氏の作品だ。ほかのご当地演歌とは全く別の世界に引き込んでくれる。

青森県の竜飛崎漁港に太宰治の小説「津軽」の文学碑が建っている。「ここは、本州の袋小路だ。読者も銘肌(めいき)せよ・・・・・」と刻まれている。小説「津軽」が発表されたのは、1944(昭和19)年のことだ。

文学碑から少し離れた高台に、石川さゆりの代表曲の一つ「津軽海峡冬景色」の歌謡碑が、海峡を見下ろす殺風景な場所に、平成の風景を作っている。肌を刺すような風を受けながら、作詞家、阿久悠の世界を身をもって感じるのである。

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アナログの良さ伝える 山形県・あつみ温泉

2019年2月8日版掲載

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写真は、時代とともに進歩し変わっていく。半世紀前は、家電から自動車、カメラまですべては機械式だったが、今は身の回りの物のほとんどはデジタルに移っている。写真を撮る作業も、カメラだけでなく、携帯電話やスマートフォンで多くの人が当たり前のように撮影している。

少し前までは、一家で写真を撮るのは、お父さんが中心で、家族は写される側にいた。今はみんな写す方に立っている。特にパソコンや携帯、スマホはデジタルの代表で、カメラの社会でも高価なカメラを持った”カメラ女子”と言われる人たちが時代をリードしているようにも見える。

写真雑誌においても、昔は男性カメラマンが多かったのに、今は女性カメラマンの活躍が目立つ。写真は社会や世代を反映するものであるから、我々年配者から見れば、時代が変わりすぎて物足りないような気もする。

時は流れ、昭和から平成に、そしてまた今年5月からは新しい時代を迎える。その代り、新しい発見もたくさんある。スポーツや鉄道など多くの分野で見たこともない写真が、見る者を楽しませてくれる。デジタルだからこその写真に出合うとワクワクする。

日々新しいものに出合う代わりに古き良きものを置き去りにしていく。私たち年配者はアナログ時代の良さも伝え残していくことも努めだと思う。

写真は山形県庄内地方に伝わる「ハンコタンナ」と呼ばれる女性の覆面。農作業の日よけや虫よけなどに使用する。特に庄内地方は日本海からの風が強い。寒い季節風からも身を守る女性の強い味方だ。

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SLに笑顔あふれる 島根県・津和野

2018年12月7日版掲載

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18歳から20代半ばまで過ごした東京時代の記憶が、人生の中で一番強く残っている。

一つ思い出すと、次から次へと話がつながる。東京のアパートの大家さんに電話を借りて、電話局の交換手に番号を告げると、つながるのに2~3時間もかかった時代だった。

当時、お盆と正月には帰省いていた。移動といえば汽車。盆、正月ともなれば始発の上野駅は東北や北陸に帰省する人たちで大にぎわい。夜行列車なのに朝から行列ができていた。夜の9時ごろに出発すれば朝7時ごろに高岡駅に着いた。

ホームには洗面台があり、蒸気機関車の長い旅ですすけた顔を洗ったものだ。夏は暑いから窓は開けたまま。顔から着ているものまですすだらけだった。半世紀も前の話だ。

最後に蒸気機関車に乗ったのは中国。1979年、太原から西安へ、一日中汽車に乗っていた。客車を数多く連結し、先頭が煙を吐きながら遥か先を走っていた。外国人だからか、客車は最後尾の方。自慢の機関車製造工場の見学もあり、今から思えば大人の遠足のようだった。

現代はストレス社会。日常から解放されたい気持ちがいつもある。その一つが旅だろう。車に電車に新幹線に飛行機・・・・・。そしてSLにも乗ってみたい。

山口県の新山口駅から島根県・津和野駅までを約2時間でつなぐ蒸気機関車「SLやまぐち号」が走っている。冬を除く土、日曜中心の運行で、予約したいっぱいのお客さんを乗せて汽笛を山あいに響かせながら走っている。

終点の津和野駅のホームは、到着と同時に人々で満ちあふれる。老若男女が携帯電話やカメラを手に写真撮影している。みんな笑顔いっぱい。なんと幸せなことだろう。

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安らぎ求める聖地 山形県・羽黒山

2018年11月2日版掲載

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私の旅は晴れた日が多い。雨や雪の日もあるが、撮影目的だけは達成できているから、ツキはいい方だと思っている。

二十数年前、山形県羽黒山の国宝、東北最古の五重塔を訪れた。3月の寒い朝で、凍った石段を下る途中で足を滑らし、後頭部をしこたま打った。それから十数年後、豪雨と霧の中を羽黒山付近を走行中、誤って車の後部バンパーに大きなへこみを作ってしまった。この二つの出来事は忘れないでおきたい。

羽黒山は日本列島の中でも聖地中の聖地である。人々はいにしえより山海の恵みなど自然の恩恵に感謝しつつ、心の安らぎを求めてきた。羽黒山、月山、湯殿山の「出羽三山」の1400年の歴史の中で、人々は東北地方の厳しい自然環境を、山伏の修行場や山岳霊場の聖地として造り上げた。年月を重ねることで、過去、現在、未来の三山の地で、他では見られない独特の形が生まれた。

出羽三山山岳信仰の中心地、出羽三山神社の三神合祭殿は一年中参詣できる。月山、湯殿山は冬季は雪で閉ざされるが、羽黒山はいつでも車で行ける。山頂は大木に囲まれた森で、参詣者の集団が小さく見える。大きな鐘楼のその奥に、豪壮な本殿が現れる。高さ28㍍、周囲を圧倒する姿だ。日本一の茅葺き(かやぶき)屋根が信仰の深さを表している。正面の急な階段を昇ると、堂内は薄暗く、灯明が闇に浮かぶように光を放っている。

明治政府の神仏分離・廃仏毀釈によって、山岳霊場も様変わりしたが、出羽三山は今も変わらぬ深いエネルギーを秘める。その中で、現代の世界に何を伝えようとしてるのか、しばし考えた。

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おやじについて

顔写真
池端 滋
いけはた しげる

1942年相倉生まれ
52歳まで東京と富山で
カメラマンとして生活
現在は妻と2人で民宿経営

写真集・連載・著書


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