キリコと火祭り

石川県・能登島 2010.8.18

今年の夏は梅雨明けと共に極暑に見舞われ、日本列島がうだっている。
子どものころを思えば、夏はいつもカンカン照りで雨も降らず、毎日汗だくだった。家には冷蔵庫がないから、裏の池にはやかんのまま冷やしたお茶があり、横にはスイカやキュウリが冷えていたのを思い出す。昼ご飯が終わり、裏の戸を開ければ山の風が心地よく、みんなごろっと昼寝をしていた。寝たきりの年寄りもいなくて、みんなとても元気だった。
能登の夏は天気ばかりでなく、キリコを中心とした夏祭りで燃えている。キリコとは墨文字や武者絵が描かれた縦型のあんどんで、神輿の道中を照らす御神灯のこと。小さいものは4~5㍍、大きいもので12㍍もある。海の安全と豊漁を祈願する祭りで、カネや太鼓の音とともにキリコが闇の世界に浮かぶ様子は威厳があり、幻想的だ。
かつて漁師は、お盆や正月は船の上にいても、祭りの日にはキリコを担ぎに帰ったと言われ、熱気にあふれていた。今では漁業の縮小や若者の地元離れで昔ほどの熱気はない。それでも祭りのために都会から帰ってきた若者もいて、日常は見せない幸せいっぱいの表情が見られるのも伝統の持つ力といえよう。
七尾湾に浮かぶ能登島の向田(こうだ)の火祭りは日本三大火祭りの一つ。広場の中ほどに30㍍もの大たいまつを立て、その周りを神輿、キリコが練り、住民の手たいまつが乱舞する。最後は手たいまつから大たいまつに火が投げ入れられると、炎は天に向かって駆け上がる。大たいまつが倒れる方向で豊作、豊漁を占う。向田の火祭りは7月最終土曜日に行われる。

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植田正治と鬼太郎

鳥取県・境港市 2010.7.14

鳥取県の西端、境港市は島根半島の付け根に位置する。松葉ガニ、マグロ、イカなど水産の町でもある。隠岐諸島へのフェリー発着場や韓国、中国、ロシアとの貿易港としても日本海側を代表する港町である。
生涯アマチュアを通した写真家、植田正治(1913~2000)は境港で生まれた。15歳でカメラを持ち、19歳で上京。わずかの修業の後、隣町の米子市で写真館を開いた。中央の雑誌に山陰の風景などを投稿して山陰の植田として名を知られるようになる。中央の作家とも親交を深めながらも決して鳥取を離れようとしなかった。山陰を撮り続けた姿勢はアマチュア精神に徹したともいえる。
米子の写真館は2階が喫茶店でいつもアマチュアカメラマンのたまり場になり、話がまとまれば撮影行きとなる自由な雰囲気だったようだ。植田の代表作に鳥取砂丘の作品がある。家族や子どもらがモデルで、詩情豊かな日常の幸福感みたいなものが伝わってくる。
山陰は神話の国として独特の土地の香りがあり、生活する人々、木や川、生き物すべてを植田のカメラはとらえている。それらの作品は植田正治写真美術館(鳥取県伯耆町須村、電話0859・39・8000)に展示されている。
写真は境港市にある水木しげるロード。同市出身の漫画家、水木しげるさんのおなじみの妖怪たち120体がブロンズ像で観光客を出迎える。鬼太郎や目玉おやじたちの町おこしは大成功で、年間300万人にのぼるらしい。

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津軽三味線の魅力

青森県・五所川原市 2010.6.9

私の好きな音楽は、ジャズ、ファド、津軽三味線。十代から二十代の東京生活では、音楽といえばジャズだった。当時、有名だった音楽雑誌「スイングジャーナル」の専属カメラマンの助手をしていた時期がある。コンサート会場で来日したプレーヤーの演奏にしびれ、休日には銀座、新宿、お茶の水のジャズ喫茶に通っていたことも青春の思い出だ。
ポルトガルの音楽、ファドのきっかけは思い出せないが、国民的歌手、アマリア・ロドリゲスの歌声を一度聴いたらとりこになってしまった。ほかにも韓国での撮影の旅でアリランを聴く機会がなく、友人にアリランのCDを探してもらって買った。美空ひばり級の歌手が、その地方ごとの歌い方をしていて、歌そのものの歴史を感じることができた。
津軽三味線といえば高橋竹山。大柄な体に独特の語りと力強い音は民謡ファンならずともひきつけられた。他の民謡の三味線の音とはひと味もふた味も違う東北津軽の風土そのものであった。
近年、津軽三味線に若い演奏家が登場してテレビなどでも若いエネルギーのギターならぬ三味線で民謡の世界にファンを呼び込んでいる。彼らの音はロックやジャズに通じるものがあるのだろう。民謡の世界から飛び出している。
五所川原市(旧・北津軽郡金木町)の太宰治記念館の前に津軽三味線会館がある。毎日、全国から修業に来ている若者が観光客相手に腕を磨いている。いつか全国デビューを果たすことを夢見て。

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古き良き時代 今に

島根県・石見銀山遺跡 2010.5.14

法隆寺、姫路城などが日本で最初の世界遺産に登録されて17年。その後、文化、自然遺産は全部で14になった。最初は順調に登録されていたが、世界遺産の総数も800を超え先進国よりもアフリカや未登録の国の遺産登録に向かっているようだ。
国内では平成19年、登録が延期されるのではと言われていた島根県の「石見銀山遺産とその文化的景観」があっさり登録されて翌年、確実視されていた岩手県の「平泉、浄土思想を基調とする文化的景観」が見送られたまま現在に至っている。
世界遺産を一番望むのはもちろん地元ではあるが、その次が観光業者であろう。世界遺産登録で一気に観光客が増えるのはマスコミ情報の力が大きいことはもちろんだが、裏で支えているのが観光業者だからだ。登録と同時に世界遺産の名前だけで多くのツアー客を送り込んでくる。
国や県は登録までは積極的に力を貸すが、登録されれば遺産の保護よりは観光優先となる。特に最近は格安ツアーが中心で、金も使わない質より量の観光になった気配である。
私の旅の行き先は、ほとんどツアー客はいない、静かで文化や自然の中に生きている所ばかりだ。写真を撮る撮らないは別にして、自分の眼で豊かな日本を見つけることが旅の楽しみではないかと思っている。
世界遺産・石見銀山の銀鉱石の積み出し港としてにぎわった沖泊(おきどまり)のすぐ近くに温泉津(ゆのつ)温泉がある。古き良き時代を今に伝える町並みは静かで風情あるたたずまいだ。

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簡単に出合えない

番外編・富士山 2010.4.14

今月は番外編で富士山を取り上げる。日本で一番写真に撮られ、大人から子どもまで絵が描ける。それだけ身近な山、富士山に3月初め、山梨県の富士五湖側から見てきた。
地元の人の話では今年は例年より天気が悪く、なかなか顔を出さないらしい。その時も初日は残念ながら厚い雲に覆われて見えなかった。それでは、と山中湖にある個人の写真ギャラリーを見に行った。本人は地元のアマチュアカメラマンと富士山の話で盛り上がっており、仲間に入れてもらった。
若いときはアメリカで肖像中心のカメラマンをしていて、オーソン・ウェルズやマイケル・ジャクソンなど多くのスターを写していたとのこと。帰国後富士山に魅了され、ギャラリーまで開いたという彼の人生を、四季の富士山の写真を背に聞いた。
次に河口湖美術館で全国から募集した富士山の写真を見に行く。新聞紙見開き大のカラー写真が100点。美しすぎる。
そして富士山といえばこの人、岡田紅陽写真美術館へ向かった。白黒写真の圧倒的な力はカラーでは味わえない。さすが富士山の第一人者。写真からは山の偉大さ、その時代の日本の風土や風景、多くの物が語りかけてくる。写真はこうでなくちゃ、と先人に頭が下がる。
2日目の午後、雲の切れ間から雪を頂いた富士山が顔を出した。簡単に合えないからこそ、より強さを感じられるのも魅力の一つだろう。
写真は河口湖美術館近くから見た富士山。

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おやじについて

顔写真
池端 滋
いけはた しげる

1942年相倉生まれ
52歳まで東京と富山で
カメラマンとして生活
現在は妻と2人で民宿経営

写真集・連載・著書


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