Go Toキャンペーンご登録は必ずご予約(電話予約のみ)をしてからご登録ください。

コロナウイルス対策のため、下記の注意事項をご確認・同意のうえご予約をよろしくお願い申し上げます。

新郎宙に舞う 富山県・旧国鉄富山駅

2020年9月5日版掲載

IMG_8908[52]

昭和20年代の戦後復興期から30年代からの高度経済成長期にかけて、日本が日々急速に変化して行った時代に、東京で暮らしたことは得がたい体験だったと思う。

23~24歳の頃、小さなテレビ映画の制作会社でスチールカメラマンとして仕事をしていた。友人から、個人的に熱海のホテルのパンフレット用に団体の宴会写真を撮ってほしいとの依頼を受けた。手持ちのカメラは小型の1台のみ。撮影用の大型カメラをリースし、照明は映画用のライトを持ち込んで挑んだ。

当時、旅といえば修学旅行、会社の慰安旅行、新婚旅行がベスト3だった。大広間には200人以上の宴を楽しむ準備が整っている。お客のいない内にカメラとライトをセットしての一発勝負だ。出来上がりがどうだったのか、それ以上のことは記憶にないが、めちゃ緊張したことだろう。

その後、富山市で写真の仕事に就く。一時期、大手婚礼写真のスタジオで契約カメラマンとして働いた。戦後のベビーブームに生まれた世代が結婚適齢期を迎え、大安の日曜日ともなれば十数組のカップルが誕生する。人生で最も記念となる写真の撮影だ。7~8時間は緊張の連続だった。

今と違ってカメラはフィルム。現像して初めて結果が分かる。ストレスの溜まる仕事だ。夜は行きつけの飲み屋で一杯。何とも心地よかったものだ。

写真は大安の富山駅。結婚式を終えて新婚旅行に旅立ちだ。バンザイ、バンザイの掛け声で栄養ドリンクを首にぶら下げた新郎が宙に舞う。ホームのあっちこっちで賑やかなことだ。

今年はコロナ禍で結婚式もまともにできない。せめて早く希望の持てる時が来ることを祈るばかりだ。

入館案内

ウキウキ風の盆 富山県・八尾町

2020年8月8日版掲載

IMG_8897

Shigeru Ikehata

1970年。今からちょうど50年前、大阪府吹田市の千里丘陵で日本万国博覧会が開催された。日本の高度成長を象徴するかのように、「人類の進歩と調和」というテーマが世界に向けて発信された。日本人にとっても将来の夢と希望を印象づける催しであった。

まだ情報が少ない時代、世界の最先端を見ようと連日国内外から多くの人々が押し寄せ、会期中の入場者は6400万人以上にものぼった。

当時、私は五箇山民謡「麦屋節」の踊り手の1人として、お祭り広場で開かれた「日本の祭り」のステージに3日間立った。同じく富山県を代表する八尾町(現・富山市)の民謡「越中おわら節」の越中八尾おわら保存会の皆さんと、万博の舞台で競演。富山を世界に紹介できた大阪万博は今でもいい思い出だ。

その時の縁で、八尾町にも友人が出来て、その後、毎年9月の「おわら風の盆」には足しげく通うこととなった。今ほどには全国的に知られていない時代で、観光客も県内外の個人客が中心。町中は混雑もなく、ゆったり祭りを楽しむことができた。

その後、小説の舞台になったり演歌に歌われたりして、急速に全国的に知られるようになった。50年前には自由に撮影できたのに、今時の混雑ではカメラを構えるのにも苦労する。

さらに当時と違うのはカメラがフィルムからデジタルに変わったことだ。おわらは男女の優雅な振る舞いが見せどころだ。やみに浮かぶ様は見るものをしびれさせてくれる。ストロボの光は似合わない。ほの暗いぼんぼりの背景の中でしなやかに踊る男女を感度を上げたデジタルカメラで思う存分撮れることがデジタル時代の一番の強みだろう。

今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で、おわら風の盆自体が中止されたと聞いた。全国のファンにとっては寂しい限りだ。写真は祭りの夕刻時。夜の本番に向けて行き交う人の心もウキウキだ。

入館案内

静かに撮影再開待つ 富山県・相倉合掌造り集落

2020年7月4日版掲載

IMGP3306

Shigeru Ikehata

今年も半期が過ぎた。お正月のお餅を食べた時、誰が今の状況を予想できただろうか。新型コロナウイルスはこの半年で、地球上のほとんどの地に広がり、1000万人以上の感染者と50万人以上の死者を出している。同時に世界中の経済活動はダウンし、閉鎖された国では人の交流も途絶えた。なすすべがない。今まで経験したことがなく、すべてに先が見えない。

私が住むユネスコの世界文化遺産「相倉合掌造り集落」では、6月に入って閉鎖が解除になってから散歩する人も少しは増えてはいるが、民宿の宿泊客は戻ってきていない。朝晩の静けさは、無観客のスポーツイベントを見ているようだ。

カメラマニアは何カ月もどこでどうして写真を撮っていたのだろうか。自分の住まいの近くにも写真に撮れるものがこんなにもあったのかと発見した人もいるだろう。

こういう時は、カメラ雑誌を見るのも楽しいものだ。私が写真を学んだのもカメラ雑誌だった。中学2年の時、カメラもないのにカメラ雑誌に出合い、以来付き合いは60年以上になる。数百冊のカメラ雑誌は自宅裏の土蔵に山積されている。時間を見つけては見に行く。

今はスマートフォンで写真を撮る時代。その前はインスタントカメラ。安くて良く写った。カメラ雑誌はそれ以前の時代のものが面白い。高度経済成長期の日本社会はいいかげんで自由で何でもありの時代。美術、写真などいろんな文化が海外から輸入された。

一冊のカメラ雑誌が目に入った。1985年4月号の「カメラ毎日」で、表紙は「ハローグッバイ」と休刊の案内である。海外の写真を紹介し、日本の若手写真家を育ててきた使命は終わったのだろうか。喪失感を味わった思い出がある。

写真は合掌造りの屋根の葺き替え。雨で作業は休み。シートで覆われ、最近亡くなった”包む芸術家”クリストを想った。

入館案内

移ろいゆく生活の場 富山県・旧井口村

2020年6月6日版掲載

IMG_8833 (1280x850)

新緑の山も濃い緑に変わり、自然はいつもの通り日々過ぎてゆく。私が住む五箇山・相倉集落はかつて、戸数約40戸、家族も多く村の中は大人と子供の生活が入り混じって毎日賑わっていた。

村が変わっていくのは昭和30年代。山間の村から離村する家か出て、1966(昭和41)年、私たちが住む合掌造り集落が国指定史跡に内定した。その4年後には正式に指定され、国は日本の代表的集落として後世に残すことを決めた。村に民宿が生まれ「ディスカバージャパン」の掛け声で旅ブームが始まった。昭和50~60年代は修学旅行生が村の中を走り回っていたものだ。30年以上前のことなのに、つい最近のように感じる。

95(平成7)年、相倉集落と菅沼集落がユネスコの世界文化遺産に登録されてからは、生活の場でもある村の中に、さらに多くの日本人、外国人旅行客が加わった。それまでは普通ではなかった風景が、普通に変わっていくのは、いつものことで慣れっこである。

なのに、今度のコロナウィルスは村を一変させた。大型連休前から集落全体が閉鎖され、観光客の姿は消えた。我が家も今年は米作りを昨年までの3分の1に縮小した。手植えでの作業は昨年の暮れに決めていて、当日は休校中の孫と、娘の応援を得て妻と4人で4時間ほどで田植えを終えることができた。

昨年までは観光客が珍しい物でも見るように写真に収めていたが、今年は1人も通らない。村の小学生が学校に行けないストレスからか猛スピードの自転車で走り抜けていくだけだ。だが、そのうちコロナウィルスから少しは解放されるだろう。政府やマスコミは新しい生活様式が必要と説き、またそれに慣れていくだろう。

写真は45年前の井口村(現南砺市)の田植え風景。すべての人の手で行われていた農作業は、現代ではほとんど農機具に変わってしまった。余はIT社会。人間はますます自然から離れていく。後期高齢者は時代のスピードについていくのが大変だ。

入館案内

足ブラブラ 幸せ  兵庫県・湯村温泉

2020年5月8日版掲載

コピー (1) ~ IMG_3088 (1280x852)

日本列島は温泉天国。日本各地に名の知られた温泉地がある。もともと温泉は、湯治場として土地の人々が仕事の合間に体の痛みや疲れを癒すために利用したのが始まりだと思う。御湯が湧き出たらそこを掘って湯につかる。海辺に、河原に、山の中にと、火山の国、日本の地下には、どこでも湯が出る道があるのだろう。

特に東北地方には湯治場の雰囲気を持った温泉地が多い。写真家、濱谷浩(1915~99)は、科学写真界のノーベル賞と言われるハッセルブラッド国際写真賞を日本人で初めて受賞した我が国を代表するカメラマン。戦後の日本海側の地に足を運び、日本の風土、風俗を数多く写真に収めている。

その代表作「裏日本」(新潮社、57年)の中に、1枚の入浴写真がある。「山の湯治場『谷地温泉』青森1957」と題された写真は、畳5~6枚ほどの湯船の中で、約30人もの老若男女が幸せそうにお湯につかっている。混み具合は東京の山手線のラッシュ時のようにぎっしりで、隣の人の体が嫌でも触れる。それでもみんな笑顔だ。日本も半世紀前までは、こんなに自由でおおらかで安心で平和な時代だったのだと、1枚の写真が伝えてくれる。

1982年、NHKでテレビ放送されたドラマ「夢千代日記」(全5話)では、ひなびた温泉町で、芸者の置き屋を営む女主人公と彼女を取り巻く人々を描いた名作だ。それぞれが暗い過去を背負っており、決して明るい物語ではない。脚本・早坂暁、演出・深町幸男、音楽・武満徹、そしてヒロインは吉永小百合とすべてが素晴らしく、今でも記憶に残っている。

ドラマの舞台となった兵庫県新温泉町の湯村温泉は、山あいの賑わいのある明るい温泉町だ。写真は町の中央にある足湯。今はどこの温泉地でも見ることができる風景だ。足ブラブラで幸せである。

入館案内
2 / 2612345...1020...最後 »







ホームへ戻る


おやじについて

顔写真
池端 滋
いけはた しげる

1942年相倉生まれ
52歳まで東京と富山で
カメラマンとして生活
現在は妻と2人で民宿経営

写真集・連載・著書


おやじの今月の一枚
相倉の四季