鬼らしくない鬼 青森県・五所川原市

2018年10月5日版掲載

IMG_4143 (800x533) (800x533)

私が住む富山県・五箇山地方は、豪雪地帯で、十数年に一度は5㍍を超える積雪がある。昭和38(1963)年、同56(81)年も5㍍を超えた。

今日のような車社会ではなく、雪はその場で高く積まれたままだった。除雪機もなスコップだけが頼りの時代で、雪が降り続けば家族総出の雪との戦いとなった。そんな冬でも、終わってみれば「今年は雪が多かったね」で、いつも通り春を迎える。

ここ数年の異常気象は被害が多すぎる。それに加えて、日本は地震でも大きな被害を受ける。近い将来、大都市でも大きな地震が予想されている。もし、東京で直下型地震が起きれば、日本はそれこそ立ち上がれなくなるぐらいの痛手を受けると常々思っている。それでも日々は過ぎていく。人間はもともとその程度のものだと思うことにしている。

青森県津軽地方は寒冷地。昔から天候不順に痛めつけられてきた。今でこそ品種改良や特産物の生産で昔のような被害を受けることも少なくなった。それでもいつの時代も変わらないのは「祈る」ことだ。ことあるごとに人は祈る。

全国に鬼伝説が数多くある。悪い鬼もいれば、良い鬼もいる。同県五所川原市金木町にも鬼っこ伝説がある。この鬼は親しまれる魔除けの鬼である。鳥居の上部「額束(がくづか)」と呼ばれる場所で、鬼が住民を迎える。赤鬼もいれば、青鬼もいる。そのうち熊野宮では奉納米俵の上で、力士のような白い鬼が下界を見下ろしている。皆が健康で幸福でありますように願っている。穏やかな、鬼らしくない鬼である。

入館案内

湖上に浮かぶ集落 滋賀県・沖島

2018年9月7日版掲載

IMG_6059 (800x533)

私は日本海沿いを好んで旅する。山峡に生まれたことも影響しているのだろう。山里の生活は想像がつくが、海辺の生活は知らないことや分からないことも多い。おそらく大変なことも多いだろう。

滋賀県の琵琶湖に浮かぶ沖島は、日本で唯一の「淡水湖に浮かぶ有人島」だ。近江八幡市沖島町は人口約270人が暮らす。車も信号もない。島内の移動は三輪車が主で、島の外に出るには、日に12便の通船か個人の船で約10分。通勤、通学、通院、買い物に船で出かけることになる。

幼稚園、小学校は島内にあるが、中学校からはない。漁業が主な産業で、漁獲高は琵琶湖全体の半分を占めるというから、漁港の規模も大きい。

コンビニやスーパーがないからか、時間の流れが違う日常がある。わずかな平地に建物が密集しており、広場があれば、子供たちは走り回り、老若男女が話に花を咲かせている。住民同士のつながりは強く、都会の人たちには考えられないような信頼関係がある。裏を返せば知られたくないようなことまで知られてしまっているのかもしれないが。

集落の高台に奥津嶋神社がある。急な階段を昇ると、境内から眼下に集落の屋根が連なっている。路地も見えないぐらいだ。漁港の先に琵琶湖が広がる。大海の島と違うのは、琵琶湖の先に陸地の山並みが見えることだ。沖島案内パンフレットに、沖島訪問の皆様に八つのお願い書きがある。公衆トイレの利用、路地は静かに、ゴミはお持ち帰りを、歩きながらのタバコはご遠慮ください、などなど島民の生活を汚すことは許されない。源氏の落人が住み着いたことが始まりとされる島。私たちも学ぶことが多い歴史の島である。

入館案内

一瞬にして乱世に 青森県・義経寺

2018年6月8日版掲載

IMG_4292 (1024x683)

私が初めて小説らしきものを手にしたのは、小学4年生の時の「源義経」だった。その頃、村の小学校には図書館もなく、教科書以外で目にする本らしきものはなかった。父が、町から赴任してきた先生にお願いして、町の本屋で買ってきてもらったものだった。

本の中身は正確には覚えていないが、源義経を中心に、源平の戦い、兄の頼朝との信頼と憎しみ、弁慶との出会いが描かれていた。

私の住む五箇山も平家の落人伝説が語り継がれている土地で、源氏とも無縁ではない。小説の主立った舞台、香川・屋島や山口・壇ノ浦、京都・五条大橋、石川・安宅の関跡、奥州・平泉などへはその後、私も足を運んでいる。

本州の日本海側最北端、私の好きな津軽半島・竜飛岬にあるホテルのフロントで「源義経の北行伝説が伝わる義経寺(ぎけいじ)があるから、じかんがあれば」と勧められた。ホテルからは国道339号を南へ約10㌔。東津軽郡外ヶ浜町の三厩漁港(みんまやぎょこう)のすぐそばの高台にあるとのことだった。

夕方だとすれ違う車も少ない。三厩漁港は結構大きな港で、海にせり出すように小高い丘がおる。山肌を取り巻くように、階段が連なっている。ゆっくり登ると、目の前に山門が現れて、「義経寺」の文字が読める。山門から右手に津軽海峡が見えてくる。演歌の世界だ。

山門をくぐれば本堂の灯が目を引きつける。伝説の地と分かっているので、時間が一瞬にして乱世の時代に戻る。言葉では表現できないほど、人々の汗と涙で歴史をつないできたに違いない。旅は多くのものを見せてくれる。

入館案内

2人乗りの楽しみ 富山・相倉

2018年5月11日版掲載

IMG_2837 (640x427)

私の仕事の民宿は父親が始めた。今年で50年が過ぎ、その間父親が亡くなり、母親が亡くなり、私たち夫婦が引き継いで今年で23年になる。ここ相倉合掌集落がユネスコの世界文化遺産に登録されてからは世界中からお客を受け入れている。

旅好きの私は、お客から旅の話を聴くのも楽しみの一つだ。民宿はホテルや旅館などとは違い、玄関で迎えて翌日の見送りまですべてにかかわるから客との距離は近い。

最近、夫婦のお客の予約を受けた。交通は自転車で、と聞いて頭から若い人だろうと思っていると、当日玄関で迎えたのは、初めて見る2人乗り自転車でびっくり。さらに夫婦とも50歳は過ぎているようだった。夕食時、囲炉裏を囲んで話を聞きながらこんな旅もあるのだと、話が弾んだ。

米国、英国で8年間の滞在生活がある国際人で、宿泊前日(4月29日)、富山県氷見市を出発点・ゴールとして開かれた「富山湾岸サイクリング2018」に出場しての帰りにお泊りいただいた。当日1000人近い参加者の中で2人乗りの自転車(タンデム自転車)での参加は、障害者用を別にして当のご夫婦だけだったそうだ。

2人乗り自転車の公道での走行は、日本では十数府県しか許可されておらず、16年に解禁された同県は、全国でも公道を走れる数少ない自治体の一つらしい。夫婦の話では、世界中で2人乗り自転車の走行規制があるのは、日本だけらしく、不思議に思った。英国では、休日に2人で田舎の風景をあちらこちらで楽しんだという。

ご主人の父親の実家は、青森県の日本海沿いの町で、同県ではまだ解禁されていないらしく、古里の日本海の風景をいつか走れるのを楽しみに待っているとのことだった。

写真は2人乗り自転車とお客さん。

入館案内

みこし先導 優雅に  富山県南砺市・城端

2018年4月6日版掲載

IMG_6789 (640x427)

今冬は大雪や厳しい寒さに見舞われたが、3月に入ると一度も降雪がないどころか初夏のような陽気が続いた。桜も開花から満開と散り急いでいるようで、別れの季節とも重なって何となく寂しい。

それでも4月ともなれば、学校も社会も新年度がスタートし、もうすぐゴールデンウィークがやって来る。正月やお盆と違って自由時間をもらったようではあるが、準備を怠ると、あっという間に終わってしまう。スポーツに美術館巡り、旅行など盛りだくさんの中から何を選ぶかは楽しくもあり、悩ましいところでもある。

私が住む富山県南砺市には、高岡市の「高岡御車山祭」(5月1日)、魚津市の「たてもん祭り」(8月第一金、土曜日)と並ぶ祭りの、ユネスコの無形文化遺産に登録された「城端曳山祭」(5月4、5日)がある。祭りの舞台・城端地区の歴史は古く、約450年前には、善徳寺を中珍に開かれている。加賀藩は五箇山で生産された生糸などの産品を流通させる際、城端に経由する特権を与えたことで、絹織物産業が発展。富と賑わいをもたらせた。

商売が繁盛すれば、神を敬うようになり、祭に発展する。今に息づく曳山文化の誕生である。

城端の曳山は、江戸端唄(はうた)と呼ばれる庵唄(いおりうた)が特徴の一つだ。京や江戸とのつながりが深く、情緒あふれる庵唄が庵屋台とともにみこしの行列に花を添える。もう一つは、他では見られなくなった傘鉾(かさほこ)だ。みこしを先導し、神を天からお招きするもので、各町内の信仰を代表するものとされている。3基のみこしを先頭に、獅子舞、剱鉾、8本の傘鉾、四神旗、庵屋台に曳山がお供して巡行するさまは、”越中の小京都”と呼ばれるだけあって華やかなものである。

5月4日が宵祭り、5日が本祭りだ。写真は傘鉾。

入館案内
2 / 2212345...1020...最後 »







ホームへ戻る


おやじについて

顔写真
池端 滋
いけはた しげる

1942年相倉生まれ
52歳まで東京と富山で
カメラマンとして生活
現在は妻と2人で民宿経営

写真集・連載・著書


おやじの今月の一枚
相倉の四季