雪の恩恵も忘れずに 富山県・相倉

2018年3月2日版掲載

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今年の冬は、北陸の豪雪に始まり、その後は平昌冬季五輪で新聞やテレビは連日、関連記事で大にぎわいであった。日本のメダル有力選手の出場ともなれば、テレビにくぎ付けになる。韓国は、日本との時差がなく、夕食を挟んでの応援は、結果がよければ「良かった良かった」と1日を終えることができ、日常生活も気持ち良く続けられる。

一方の豪雪は、日常生活に大きな影響が出る。行政の除雪費用が例年の3~5倍とも言われ、どの自治体も大変だ。私が住む五箇山は豪雪地帯で、今冬も一番多い時で3㍍を超えていた。それでも道路はきれいに除雪され、日常生活に支障はない。

時々、雪は思わぬ降り方をする。福井県から石川県にかけての国道8号は、2昼夜にわたって1000台以上の車が動けなくなる災難に見舞われた。ニュースで見る限り、平野では普通の降り方ではない。自衛隊が出動するほどのお手上げ状態だったことが分かる。

救いは、近辺の人たちが差し入れしたり、ドライバーも疲れているのに不満も言わず冷静だったことだ。早く抜け出して家に帰りたいという気持ちは痛いほど分かる。

私の家の周りは田畑も含め、いつも5月の大型連休ごろまで雪が残っている。水がぬるむ頃、雪はゆっくり解け始め、土に染みこみ、またいつか地上に湧き出て、私たちに恵みを与えてくれる。雪国の人々にとって、雪は生活の一部だと私は思う。もっと雪と親しむこともあってもいいのではないか。雪が降ったら邪魔者扱いばかりしないで、たまには雪だるまでも作って遊んでみたらどうだろう。

写真は冬の晴れ間の相倉合掌造り集落。

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マナー守り 楽しく撮る 島根県・津の森

2018年2月2日版掲載

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写真は、写す人と写される相手がいることは、これからも変わることはない。人物写真ともなれば、相手が人間だから簡単ではない。一昔前までは写す側も多くはなかったが、それなりに一般的なマナーを持っていたから、相手に無礼にあたるような撮り方はしなかったし、撮られる側も「まあいいか」という程度に終わっていたように思う。

しかし今はもう、歩いている人は皆カメラをはじめスマートフォンなど写真を写す道具を持っている。現代はプライバシーや肖像権の問題も含めて、撮る側より撮られる側の方が敏感だ。私も撮る立場なのに、住んでいる場所が観光地的な場所だから、撮られる側にいることも多い。

家の玄関を出た途端にカシャカシャとシャッターを切られることも度々ある。防ぎようがない。ストレスもたまる。仕方ないとあきらめる他ないのか。

最近は鉄道写真が熱い。「撮り鉄」と呼ばれる鉄道ファンはよりいい写真を撮るためにいろいろ考え、苦労している。そのことで迷惑をかけたり、トラブルになることもある。いい場所を確保するために足元の花を踏みつけたり、線路内に侵入したり、駅員や車掌さんにじかにカメラを向けたりするなど、マナーが問題になっている。プロのカメラマンの写真から読めるのは、マナーをきちんと守っていることである。

もともと鉄道好きな人たちの集まりだ。マナーの悪い人はほんの一部の人たちであって、ほとんどの人たちはマナーを守り楽しんで撮っている。プロは、人それぞれの個性ある写真を撮っている。アマチュアの人たちも自分しか取れない写真を楽しんでほしい。「ゆる鉄」という電車を写さないで鉄道風景を表現する写真もある。

写真は、自転車ごと電車に乗り込むためにホームに向かう女性。

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日本を感じる地 山形県・湯殿山

2018年1月12日版掲載

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私の住む家のすぐそばに「地主神社」がある。国を治め、地域の住民の健康、幸せを願う社である。境内には、2019年5月に新天皇になられる皇太子さまが、まだ浩宮さまと呼ばれていた学習院高等科時代、同級生と夏休みに訪問されたとき、読まれた歌碑が建っている。「五箇山をおとづれし日の夕餉時森に響かふこきりこの唄」とある。

弟の秋篠宮さまも数回にわたり家族と相倉にお越しになり、結婚されて間もなくの頃、紀子さまとお越しになり、神社の境内では村の人たちとこきりこの踊りの輪に入り楽しまれたこともある。

境内は子供の頃、一番の遊び場で、夏休みにはラジオ体操から一日が始まった。社には今、子供の頃はなかった賽銭箱が置かれ、観光客が手を合わせて願い事をしている。私たちの村の聖地である。

今、外国人も含めて旅をする人たちの目的地の中には、必ずといっていいほど聖地やパワースポットと呼ばれる場所が含まれている。自然を敬い、祈ることから始まったであろう信仰は、今の時代、聖地巡りの旅に発展したのだ。

山門や鳥居をくぐれば、人々は日常と違う空間に出合う。山形県の出羽三山は日本を代表する山岳信仰の聖地である。開山以来約1400年、多くの信者を霊場として救ってきた。羽黒山、月山、湯殿山と三山それぞれ役割がある。中でも最も俗世界と離されたのが湯殿山である。湯殿山は「話すことも聞くことも」ならない聖域である。深い森の中に朱い鳥居が迎えてくれる。一度は訪ねてみたい神秘の山のパワーと日本を感じる地である。

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新しい風に期待 石川県・珠洲市

2017年12月8日版掲載

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今年の秋、久しぶりに能登半島を一周してきた。初めて一周してから45年も過ぎた。その間の一夏、雑誌の撮影で、能登全域の主だったキリコの祭りを取材したことも懐かしい。その後も何回かは輪島市まで撮影に出かけているから、能登は私の中では身近にある。

今回、珠洲市で「奥能登国際芸術祭2017」が開かれていると聞き、出かけてきた。9月3日から10月22日までの50日間、珠洲市を舞台に11の国と地域から39組のアーティストが参加。総合ディレクターとして北川フラムさんが関わっている。北川さんといえば、新潟県の「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」の総合ディレクターでもある。北川さんで思い出したことがある。

1988年10月、富山市の県民会館で、「アパルトヘイト否!国際美術展」が開催された。当時、南アフリカの人種差別問題が、全世界的に話題になっていた。世界34ヵ国81人の作家の作品154点を移動倉庫トレーラーに積んで世界中を回り、日本では約500日をかけて北から南までを移動していた巡回展で、作品の中身は直接アパルトヘイトに関するものではないが、問題に関心を寄せてもらうのが目的だった。その巡回展の日本のプロデューサーが北川フラムさんだった。

それら多くの芸術祭に関わってきた北川さんの奥能登芸術祭である。開催地の珠洲市は、古くは大陸との文化交流の玄関であり、歴史文化の豊かな土地でもある。今は交通の不便さから過疎化が進んでいる。今回の芸術祭で新しい風を呼び込もうとの思いもあろう。今回は規模こそ小さかったが、将来大きく花開くことを期待したい。写真は観光客で賑わう禄剛崎灯台。

 

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日本産木材 活用の予感

秋田県・角館 2017年11月3日版掲載

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半世紀前まで、日本の山里に住む男たちは、子や孫のために家を建てるべく杉の苗木を植え、育てるのを楽しみにしていた。その後日本は高度経済成長時代を迎える。

昭和40年代、開港したばかりの富山新港はマイホームの建築ブームで、外洋材の輸入に伴い連日大型貨物船から木材が荷揚げされていた。当時私は、富山市で写真に関わる仕事を始めたばかり。富山新港の賑わいは刺激的で、暇を見付けては撮影に通ったものだ。大型貨物船の横を曳舟に引かれたイカダがポンポンと心地よい音を響かせていた光景が、今も鮮明に頭の中に残っている。その後の日本は過去を振り返る余裕もないぐらい先に進んだ。

これまで、建築用の木材は外国からの輸入にばかり頼ってきたが、里山保全のためにも自国の山に生い茂っている木々にも目を向けなければならない。近年、ようやく地場産の木材で家を建てようという動きが出てきた。山間地の国道沿いにも大きな木材置き場が整備されて山積みされているのを目にする機会も増えた。

秋田杉は全国に名が知られている。秋田市から国道46号を角館へ車を走らせていると、車の前を、大型のトラックが大量の木材を積み、国道わきの木材置き場に向かって行った。後を追うと、運転手が大型トラックの荷台に取り付けられた「グラップル」と呼ばれるロボットの腕のようなアームを動かしていた。丸太をわしづかみにしたアームは、何百㌔もの木材を順序よく並べていく。手慣れた操作でゲームを見ているようだ。日本産の木材の利用と活用が始まった予感がした。

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おやじについて

顔写真
池端 滋
いけはた しげる

1942年相倉生まれ
52歳まで東京と富山で
カメラマンとして生活
現在は妻と2人で民宿経営

写真集・連載・著書


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