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歴史宿る「民家」の形 石川県・輪島市

2019年9月6日版掲載

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暑かった夏も終わり、キリコ祭りで賑わった石川県・能登地方も少しずつ静けさを取り戻している頃だろう。

私が住む富山県・五箇山地方と能登は歴史的にも「落人伝説」や加賀藩とのつながりなど共通点も多く、獅子舞や民謡など文化面でも大きな影響を受けている。

五箇山の合掌造りも家屋も加賀藩の宮大工の仕事で、豪雪に耐えられよう高度な技術が施されている。日本を代表する伝統的建造物として評価され、ユネスコ世界遺産にも登録されている。

石川県輪島市内から国道249号を珠洲市方面へ車を走らすと、「白米千枚田」があり、棚田を撮影する。さらに先へ5分ほど進んで曽々木海岸を右折して約500メートルも行くと「上時国家」がある。国指定重要文化財で木造茅葺きとしては最大級で、建坪189坪(約623平方メートル)、大屋根の高さ18メートル、玄関は総けやきの唐破風造りで、築180年の堂々たる構えだ。

上時国家は約800年前、源平の合戦で平家一族が滅亡した際、平清盛の義弟、大納言平時忠が奥能登に配流となり、その地で没した。子の時国から始まる「時国家」は江戸時代には300石を統治する大庄屋で、苗字帯刀も許された実力者であった。日本海交易の北前船で財を成し、21代左門時輝が現在の屋敷を建て、今の当主は25代目という。

日本海に突き出た能登半島は大陸からのまつりごとや民族、文化の影響を色濃く受けた。加賀文化にも影響を与えたことだろう。私は、「民家」こそ島国日本の生活文化を代表するもので、その地でしか生まれない、他の地では見られないものであると思う。そして、後世に伝えるべき文化であり、芸術品であり、先祖からの最高の贈り物であると信じている。

上時国家の家紋「丸に揚羽蝶」は、平家の紋であり、五箇山最大の合掌造りで国の重要文化財にも指定されている「岩瀬家」の家紋でもある。能登との縁は深い。

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祭り 朝市 にぎわう季節 石川県・輪島市

2019年7月5日版掲載

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車の運転免許を取ってすぐ、能登半島の砂ぼこりの道を車で一周してから50年近くになる。昭和40年代の日本、地方が一番元気な頃で、人口も右肩上がり。どこにいっても子供が元気よく走り回っていた。

昔も今もそうだが、能登が一年で一番賑わうのは、これからの季節だ。日本遺産にも認定されている「キリコ祭り」が、夏場を中心に年間約200地区で催される。キリコとは神輿を先導するキリコ行灯のことで、小さなものは子供サイズ、大きなものは14メートルにも達する。

キリコには武者絵や縁起の良い文字が書かれ、夜、行灯に明かりが灯され、闇に浮かぶさまは幻想的だ。男衆がかつぎ、威勢良く町中を練り回ると、見物する人々の心までざわめかせ、町中興奮状態となる。土地の若者たちは盆、正月に帰省しなくても、キリコ祭りには帰ってくるという土地柄だから、盛り上がらないわけがない。

7月は第一金、土曜の能登町の「あばれ祭」でスタート。朝市で有名な輪島大祭は8月22~25日。輪島市内の4神社の祭礼でもあり数十のキリコが町を練り歩く。初日の夕暮れ時、若者に担がれた神輿が海に入り沖に向かう「入水神事」は、見ていても力が入る。

今日のデジタル時代、特に夜の撮影は、デジタルカメラの方がフィルムに比べてあらゆる面で優れており失敗も少ない。カメラ1台、標準ズーム1本で撮影することをお勧めしたい。

祭りだけでなく1000年の歴史があるという輪島の朝市もゆっくりと回りたい。売っているものを見ると、時代とともに変化しているのが分かる。時間があれば、まちなかのカフェでコーヒーを飲みながら土地の人たちとの会話を楽しむのもいいだろう。地元ならではの情報を聞くこともできる。

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多様な山岳信仰 富山県・南砺市

2019年6月7日版掲載

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日本は山と海に囲まれた島国。山に海に昇る太陽、沈む太陽に手を合わせることで心のよりどころとしてきた。

霊峰、富士山に代表されるように、高い山は日本各地で人々の心の支えとなり力となってきた。それは昔も今も変わらない。特に日本三霊山とされる富士山、白山、立山には山岳信仰としての歴史があり、人々とのつながりは今も日常生活の中に息づいている。

2013年、世界文化遺産に登録された富士山は、日本人にとっては特別の山だ。信仰ばかりではなく、登山、美術、音楽、写真など幅広い芸術の素材となっている。銭湯壁画の定番でもあり、信仰を超え、日本中で愛される存在だ。

一方、約1300年前開山と伝わる立山。万葉時代から「神々が宿る山」とされ、平安時代には仏教の山としての意義が加わり「立山信仰」が確立。江戸時代には全国から信者が集い、立山一円は聖地としてにぎわったという。

標高3003㍍の主峰雄山頂上に建つ雄山神社の峰本社を中心に男衆は立山登山、立山は女人禁制だったため、女性は麓の宿坊で帰りを待った。日本列島で生まれたさまざまな形の山岳信仰は、先人たちの精神の豊かさの証明だと思う。

令和になったばかりの5月11、12両日、私が住む南砺市の上梨地区にある白山宮で33年に1度のご開帳があった。白山宮は、白山信仰に由来する全国に約2700社ある白山神社の一つで、本殿は1502(文亀2年)に建てられ、向拝の蟇股(かえるまた)などは室町時代中期の特徴を示す富山県最古の木造建築。1958年に国指定重要文化財に指定されている。

ご開帳には近隣8地区から地元のこきりこ唄、麦屋節、獅子舞が奉納され、五箇山一のにぎわいを見せた。写真は、獅子舞を先導する山の神ともいわれる天狗。

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令和祝う「こきりこの唄」  富山県・相倉合掌集落

2019年5月10日版掲載

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令和時代が始まった。昭和に生まれ、高度経済成長の波に乗り、豊かさも手にした。平成時代はバブルに始まり、日本列島の宿命ともいえる天災は、幾度となく国民を苦しめた。被災者の苦しみは今も続いている。

報道されているような大都市の直下型地震が発生すれば、過去の災害の日ではないかもしれない。”平和ボケ”のようにもみえる今の日本。令和という新しい時代を迎えたとはいえ、手をたたいて喜んでばかりもいられないと思う。

原発を中心としたエネルギー問題、人口減少、少子高齢化、地方格差など山積する問題は、日本の土台を揺るがすものだ。子どもの教育から高齢者福祉まで、だれもが安心して暮らせる社会を目指すのはもちろん、次の世代に少しでも負担をかけないように考えるのが令和の時代に生きる全ての人々の責任ではないだろうか。

私が住む富山県南砺市の相倉地区は、1966(昭和41)年、国史跡の内定を受け、4年後に本指定された。95(平成7)年にはユネスコの世界文化遺産に登録された特別区のような場所だ。いずれも、将来過疎化を迎えるであろう合掌造り集落を日本の代表的な伝統集落と認め、次世代に継承するべく半強制的に指定を受けた。

地区の中心にある地主神社の境内に、新天皇の歌碑が建っている。76(昭和51)年、学習院高等科2年の時、地理研究会の仲間とともに御来村された折に詠まれた短歌「五箇山をおとづれし日の夕餉時 森に響かふこきりこの唄」が刻まれている。

令和がスタートした5月1日、住民が集まり、白梅を植樹し、お祝いした。「人生は旅だ」と今まで幾度となく聞いてきたが、自分の生まれ育った地が秘境と呼ばれていた半世紀前には考えられない一日だった。

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桜は日本人の ”心” 石川県・能登鹿島駅

2019年4月5日版掲載

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春は何かと忙しい。日本社会には卒業、入学、就職に退職、転勤など人生の節目になる出来事が多い季節だ。そのようなせわしない日々を見守ってくれるのが桜の花ではなかろうか。

桜の開花は日本人にとっては一大関心事であり、3月に入れば、天気予報は桜の情報でもちきりとなり、雑誌は桜の特集が満載で、どこもかしこも桜の花が満開となる。

庶民の花見文化は、江戸時代に幕府が桜の木を植えて名所を造ったのが始まりのようだ。今では花見は一般化し、北上する桜前線とともに日本列島を旅する人、名木を求め重い撮影機材を車に積んで撮影に飛び回る人などいろいろだ。桜は日本人に夢とエネルギーを与え、自然と向き合う繊細な精神性をも植え付けてくれる。文学や絵画、音楽など多くの芸術に影響を与えており、このような植物は桜以外には思い当たらない。

今やシーズンともなれば、外国人も大勢押しかけるようになり、既に桜は日本人だけのものではなく、国際交流にも一役かっている。そんな桜だが、戦争中は花見の余裕もなく暗い時代も経験している。そんな時代、桜は我々人間の愚かさをじっと見続けていたのだろう。声なき声で。

満開の桜の下、多くの花見客とともに写真を撮影する人も集まる。群衆の中では、特にマナーが必要だ。みんなが楽しめるためにも、気遣いの心が求められている。

写真は石川県ののと鉄道の能登鹿島駅。愛称は「のとさくら駅」。ホームは桜で満開だ。

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おやじについて

顔写真
池端 滋
いけはた しげる

1942年相倉生まれ
52歳まで東京と富山で
カメラマンとして生活
現在は妻と2人で民宿経営

写真集・連載・著書


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