道は麦でいっぱい 中国・太原市

2019年12月6日版掲載

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中国に旅した1979(昭和54)年、日本は東京五輪、大阪万博の成功で自信をつけた頃で、中国は遅れた国のように見えた。北京駅から夜行列車で大同に向かう混雑は、昭和35年ごろの上野駅の混雑と同じようで、中国に来たのだと強く感じた思い出がある。

北京、大同の次に訪ねたのが、外国人旅行者を受け入れたばかりの太原市だった。当時は人口200万人ほどの工業都市で、町には活気がみなぎっていた。歩行者や自転車の往来が激しいが、日陰ではゆったり時を過ごす老人も多かった。中国独特の風景だろう。

太原市には仏教の聖地も多い。文化大革命と「四人組」の時代、僧侶は地方で労働に従事していたとのこと。今は当時より数は少ないものの寺に戻って日常の活動にいそしんでいると話す表情も明るかった。

市内から約70㌔離れた山中に、中国浄土教の聖地、玄中寺がひっそりと建っている。以前は多くの僧侶がいたが、当時は7人の僧が勤行の日々を送っていた。日本からの仏教関係者の訪問者も多く、私たちを好意を持って迎えてくれたのは旅の途中の安らぎだった。

また太原市は酒好きには忘れられない地でもある。アルコール度数65度の名物「汾酒(フェンチュー)」、45度の「竹葉青酒(チューイエチンチュー)」で知られる。工場視察はお昼少し前、もちろん昼食は工場の幹部を囲んで乾杯、乾杯の連続で、日本側は早々にダウンして終了した。中国の銘酒に”乾杯で完敗”だった。

写真は麦刈りの時期、道路は麦でいっぱい。馬車や自動車が踏みつけて、脱穀する仕組みで、大勢の農民が車が通る度に広げたり集めたりして、忙しく動き回っていた。ちょうど40年前の中国の一面だ。

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