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  • 2020.06.22
  • つぶやき
  • 移ろいゆく生活の場 富山県・旧井口村
2020年6月6日版掲載 IMG_8833 (1280x850) 新緑の山も濃い緑に変わり、自然はいつもの通り日々過ぎてゆく。私が住む五箇山・相倉集落はかつて、戸数約40戸、家族も多く村の中は大人と子供の生活が入り混じって毎日賑わっていた。 村が変わっていくのは昭和30年代。山間の村から離村する家か出て、1966(昭和41)年、私たちが住む合掌造り集落が国指定史跡に内定した。その4年後には正式に指定され、国は日本の代表的集落として後世に残すことを決めた。村に民宿が生まれ「ディスカバージャパン」の掛け声で旅ブームが始まった。昭和50~60年代は修学旅行生が村の中を走り回っていたものだ。30年以上前のことなのに、つい最近のように感じる。 95(平成7)年、相倉集落と菅沼集落がユネスコの世界文化遺産に登録されてからは、生活の場でもある村の中に、さらに多くの日本人、外国人旅行客が加わった。それまでは普通ではなかった風景が、普通に変わっていくのは、いつものことで慣れっこである。 なのに、今度のコロナウィルスは村を一変させた。大型連休前から集落全体が閉鎖され、観光客の姿は消えた。我が家も今年は米作りを昨年までの3分の1に縮小した。手植えでの作業は昨年の暮れに決めていて、当日は休校中の孫と、娘の応援を得て妻と4人で4時間ほどで田植えを終えることができた。 昨年までは観光客が珍しい物でも見るように写真に収めていたが、今年は1人も通らない。村の小学生が学校に行けないストレスからか猛スピードの自転車で走り抜けていくだけだ。だが、そのうちコロナウィルスから少しは解放されるだろう。政府やマスコミは新しい生活様式が必要と説き、またそれに慣れていくだろう。 写真は45年前の井口村(現南砺市)の田植え風景。すべての人の手で行われていた農作業は、現代ではほとんど農機具に変わってしまった。余はIT社会。人間はますます自然から離れていく。後期高齢者は時代のスピードについていくのが大変だ。